気づきの伝道師 藤井一規です。
人の心を捉えるものには
どんな特徴があるのだろう?
今日は芸を通して、人の心に伝えることについて考えていく。
<ブログ>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/10223/
この記事の目次
「芸というものは、 実と虚との皮膜の間にあるものなり」
by近松門左衛門(江戸時代の浄瑠璃及び歌舞伎の作者)
人の心を捉えるものには、ある特徴があるという。
それは、どんなものだろう?
それを活かすにはどのようにしていけばいいのだろう?
<どんな設定でも>
SF(サイエンスフィクション)映画には、
実際にはありえない想像の世界を描いたものが多い。
しかしそこに、一貫性があったり、共感できるものがあったりするともに、
どこかに現実とのつながりを感じることができると、
私たちはありえないものでも、その世界に入り込むチカラを持っている。
これはSF映画だけでなく、文学においても、絵画や音楽においても、
おそらくすべての表現に生かされている。
もちろん、かけ離れたものだと思われてしまったら、
受け入れてはもらえない。
どこかに、こんなことあったらなとか、ありえるかもとか、
ちょっとしたリアルとのつながりがあることが重要。
<リアルなほどよいか?>
どこかに現実とのつながりがあることは、人の心が受け入れるきっかけになる。
では、リアルを追究していくとどうなるだろう?
たとえば、演じるときに、
実在した人物と、全く同じ身振り手振り、声、表情、そして気持ち・・・
当人になり切って演じることを大切だと考える人がいるかもしれない。
しかし、演じているのを誰かに見てもらったり、感じてもらうためには、
却ってそれが邪魔になることがある。
オペラや演劇では、ステージの上では、会話しているように見せてはいるが、
リアルには向き合ってはいないことも多い。
声を観客に届けるという面でも、観客に顔を向けていたいし、
実際のように感情をこめ過ぎると、発声が乱れてしまうことにもなる。
こんな話がある。
しばらく離れている恋人の人形をリアルに作ってほしい、と頼まれて
造って渡そうとしたところ、あまりにもリアルで、気味悪がられてしまったという。
恋人を思い出すきっかけになるものは欲しいが、リアルな恋人人形が欲しいわけではないのだ。
こう考えてくると、
どうも、伝えるためにはリアルでありさえすればよい、というものではなく
リアルすぎるのは考えもののようだ。
<伝えたいことを表現するには>
あまりにも荒唐無稽では受け入れてもらえない。
かといって、生々し過ぎても拒絶されてしまう。
そして、心に結び付いた経験を引き出し、
想像を掻き立てられるところには惹き付けられていく。
なので、リアルを実、作り事を虚、と呼べば、
実と虚の境目のところを表現すると、心に入って来やすくなる。
虚の要素ゆえに心が緩むこともある。
実の要素ゆえに説得力がある。
あなたが、誰かに何かを伝えたいときにも、
考えてみる価値がきっとある。