気づきの伝道師 藤井一規です。
昨日、忘却曲線に触れ、復習することの効果について書いた。
今日は、復習することの意味についてもう少し考えていく。
<ブログ>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/10332/
この記事の目次
「復習とは、新たに生み出すためのものだ」
by第16代 千 宗室(茶道裏千家当主)
復習は、記憶にとどめるためには、とても効率的な手段だ。
しかし、復習とは、ただ単に記憶するためのものだろうか?
<覚える>
忘却曲線で触れたのは、脳の知識記憶について。
私たちの周りには、ものすごい情報量があるため、
必要なことを残し、不要なものをどんどん整理していく作業は、
生きていくためにはとても大切なプロセスだ。
そう、記憶から消し去る、いわゆる忘れることは
とても大切な能力でもある。
しかし、重要なことは残していきたいのだけれど、
聞いただけ、ちょっと触れただけの情報は定着しにくい。
そこで、繰り返し知識を確認する復習作業は有効な手段。
<考える>
私たちは、つい知識を詰め込もうとしてしまうが、
知識を詰め込んだだけで、本当にわかったといえるのだろうか?
知識はとても大切なものだけれども、
それだけでは、ただ辞書を覚えただけの、無味乾燥なものなのではないか?
どこかからコピーしてきたものと、自分で考えたどり着いたものとには、大きな違いがある。
コピーしてきたものは忘れてしまったら、そこでおしまいになってしまうが、
考えてたどり着いたものは、無くなっていかない。
もし忘れても、またたどり着くことができる。
そう、本当に自分のものにするためには、ただ覚えただけの借り物では足りない。
<プロフェッショナルたち>
茶道の世界だけでなく、プロフェッショナルの世界で一流といわれる活躍する人たちは、
身につけようとすることを、何度も繰り返している。
すごい選手で、もう身についているだろうと思えるようなケースはしないのかと思えば、
それぞれの工夫をしながら、身体に染み込ませることは続けている。
そして、工夫を凝らし続けて、
さらに上のレベルを目指したり、年齢による衰えを克服したり、
別のレベルを開発しようとしていたりする。
<新しいものを生み出す>
復習することは、忘れないように繰り返すだけと考えるよりは、
もう一度さらいながら、本当に大切なものとは何なのか、
未だ気づけていない重要なことは何かを捜し求めることかもしれない。
自分でたどり着いた答えは、自分なりの、自分のものとなっている。
それは、誰かからの受け売りとは違う。
温故知新。新しいものは、これまでのものの中にすでにあったりする。
復習するとは、単に覚えたりするようなものではなく、
新しいものを生み出すプロセスなのだ。