気づきの伝道師 藤井一規です。
全ての人のために何かをしようというメッセージを発しても、効果が現れなかったりするもの。
逆に、たった一人のために全力をつくすことが、広く多くの人に影響を与えたりする。
今日は、効果的な取り組み方について考えていく。
<ブログ>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/10409/
この記事の目次
「わたしたちは、あらゆる場所の、あらゆる人のために、
あらゆることをすることはできませんが、
どこかにいる、だれかのために、何かをすることはできます」
byリチャード・L・エバンズ(米国出身の十二使徒評議員会メンバー、国際ロータリークラブ会長)
私たちは、広く多くの人ために何かをしたいと思ったりするもの。
しかし、広く影響を与えようとすればするほど、
誰にも影響を与えることができなかったりするもの。
どうしていけばよいのだろう?
<私のためにしてくれたら>
もし、誰かがあなたのために何かをしてくれたとしたら、
その思いはとてもうれしい。
さらに、実際に役に立つものであればあるほど素晴らしい!!
直接、自分のためにしてくれたら、これほどうれしいことはない。
このパターンほど、実感できるものはない。大歓迎されることだ。
<流されてしまうとき>
これに対して、自分には全く影響がないなって思ったり、
感じたりするのは、どんなときだろうか?
たとえば、理想論だけを話している人がいたら、
実際になにかをしてくれるのかどうか怪しいな、って気持ちが生まれてくる。
総論賛成、各論反対みたいに、
もっともらしいことは言うけれど、
実際に何かをするという段階になったら、
いや、この場合は条件に合わないとか、いまはだめだとか、
なんだかんだと理由をつけて、行動しようとはしない人がいたら、
なんだ。結局なにもしないのではないか?
そんな気持ちが起きてきたりする。
<関係ないはずが>
例えば、ある人があなたの隣の人のために、
一生懸命何かをしてくれているとしたら、どうだろう?
自分のことじゃないから、全く関係がない?
確かに、直接的には何かをしてもらえているわけじゃないけれど、
その状況は、あなたにメッセージを伝えている。
もしあなたが隣の人と同じ状況になったら、
同じことをしてもらえるかもしれないってわかる。
このひとは、実際に誰かのために何かをする人だと。
そしてそれは、自分にも向けられる可能性があると。
<ひとりのためは皆のためにつながる>
目の前の人のために、その人を思ってなにかをすることができるなら、
それが誰であっても何かができる。
逆に、多くの人を対象にするようにしているつもりが、
誰に対してなのか、あいまいで、雲をつかむようになってしまっていると、
現実感が生まれてこない。
結局は、何も起きないのではないか?
という気持ちが湧いてきてしまうのだ。
目の前の一人を大切にすることは、
多くのひとを大切にすることにつながっていく。