気づきの伝道師 藤井一規です。
存在しているのは、今この一瞬だけだと言われる。
つい過去について悔やんだり、苦しんだりしがちだけれど、
過去の事実を変えることができるわけではない。
今日は、道元のことばから、どのように今を生きるかについて考えていく。
<ブログ>
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この記事の目次
「たき木(薪)、はひ(灰)となる、さらにかへりて(返りて)たき木となるべきにあらず」
by 道元(禅僧、曹洞宗の開祖)
一度燃えて灰になってしまった薪が、また薪に戻ることはない。
そんなことはわかっているけれど、薪だったことを記憶している私たちにとって、
つい、心が引き摺られてしまうもの。
どう受け留めていけばよいか、しばらく考えていきたい。
<瞬間>
時間とは不思議なもの。
どんなに過去が素晴らしくても、
今、この瞬間には存在しない。
未来もまた、存在はしていない。
私たちが関わることができるのは、今、この瞬間だけ。
しかも、関わった瞬間に、それは過去になってしまっている。
<人生>
人生を思うとき、自分が存在してきた過去からの
瞬間の積み重ねということになるのだろうか。
しかし、人生を楽しもうとすれば、
今この瞬間を楽しむことのみが可能となっている。
記憶の彼方を思うときも、今この瞬間において
思い出すことになる。
死んだ後、生であったときに戻るということはない。
<失ったものに目を向けても>
ならば、幸せな人生、楽しい人生を送るには、
いかに今この瞬間に幸せを、楽しみを見つけるかにかかっている。
年齢を重ねれば、身体はどんどん変化していく。
変化した今の現状を受け留め、いかにそこに幸せを、慈しみを、
楽しみを見つけていくかにかかってる。
この灰は、昔は薪だったのに。。。と
薪では無くなって、失ったものに意識を向け続けていても
虚しいばかり。
<今を楽しむ>
ケガをしてしまったり、病気になってしまったり、
あるいは恥をかいてしまったり。
そういう状態になってしまうことあるかもしれない。
もしそうなら、その状態でしか体験できない今を、目一杯生きていけばいい。
誰かに手を差し伸べてられたら、
「そんなに落ちぶれてはない!」
と肩ひじ張らずに、そこにある、親切や思いやりを受け留め、
ありがたさを見つけ、感じていけばいい。
今、この瞬間をどう喜びに変えていくか、
囚われから離れ、自由になって捉えなおしてみたい。