気づきの伝道師 藤井一規です。
変化激しく、先が見えない時代。
実際、そう感じられることも多い。
そんな時代に、どう生きていけばよいのだろう?
今日は、どのように人生の選択をしていくかについて考えていく。
<ブログ>
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この記事の目次
「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」
by 小林虎三郎(長岡藩士、武士)
お腹が空いていて目の前にお米があれば、その米でまずお腹を満たすことを考えるかもしれない。
しかし、もう少し我慢して、その米を増やす手立てをとる可能性もある。
どのような選択をしていくのか、しばし考えていきたい。
<百俵の米>
明治維新の際、新政府軍に敗れ、困窮していた長岡藩。
三根山藩から支援の百俵の米が贈られたとき、分配を求めた多くの藩士。
しかし、小林虎三郎は、
「国が興るのも、街が栄えるのも、ことごとく人にある。
食えないからこそ、学校を建て、人物を養成するのだ」
と主張し、議論し、最終的には、学校を建てた。
そして復興することにつながったという逸話がある。
<目の前か、未来か>
金がなくて、お腹がとても空いているときに、
すぐにだったら1,000円分の食事がもらえる。
ただ、1ヶ月待てば必ずとは言えないが高い確率で2,000円もらえる可能性がある。
となっていたら、あなたはどちらを選ぶ?
人は、目の前でもらえる100円と、1週間後にもらえる100円とでは、
目の前の100円の方に価値を感じやすい。
さらに、未来のほうは、確実というわけではなく可能性だとしたら?
<未来の可能性>
先の質問で、今の1,000円分の食事をとる人もいるかもしれない。
1ヶ月先に2,000円もらえる可能性を選ぶ人もいるかもしれない。
状況次第で、すぐお腹を満たさないと倒れそうだったら、今の1,000円分の食事で、
余裕があれば1ヶ月先の2,000円。と言う人もいるかもしれない。
どの選択が正しい、間違っている、というわけではなく、
長岡藩は、食糧に困っていても目の前の1,000円の食事をお金にして教育に回し、
1ヶ月先の2,000円、1年後の10,000円、さらにはもっと増えていく可能性の方を選んだ。
その可能性は、教育による人材育成であり、きっと手に入れられると
議論した皆が納得できたからだ。
<先の見えない時代に>
変化の激しい時代において、
なにをすれば確実、というものはないかもしれない。
だから、より刹那的な反応をして生きていく人が多くなっていきがち。
しかし、そんな時代だからこそ、
ひとりひとりが、自分自身で考えていく必要がある。
社会のことであれば、それぞれが考えた意見を持ち寄って議論し、
お互いに向き合って合意を形成していくことが求められている。
<未来を共有する>
「百俵の米」は、もちろん小林虎三郎が教育に回そうと提唱したけれども、
反対を押し切って一方的に決めたことではなく、
議論して、自分の意見として合意に至ることができたことが、成功の一因になっている。
ただ反応するだけでなく、自分で考えること。
素晴らしい未来を描くこと。
そしてそれを共有すること。
考えていきたいものだ。