気づきの伝道師 藤井一規です。
いくつかの選択肢から進路を選ぶことができるとき、
選択に迷うとき、どのようにして決めているだろうか?
今日は、複数の選択肢からの選び方について考えていく。
<ブログ>
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この記事の目次
「それはおまえ次第だよ。どっちへ行きたいか分からなければ、どっちの道へ行ったって大した違いはないさ」
by ルイス・キャロル(英国の数学者、論理学者、写真家、作家、詩人。「不思議の国のアリス」より)
不思議の国に迷い込んだアリスが、分かれ道に差し掛かったとき、
「どっちに進んだらいいの?」とチェシャ猫に尋ねたときの答え。
進む道を決めるとき、誰かに「どっちに進んだらいいのか?」
って聞きたくなることってあるかもしれない。
本当は、どうやっていけばいいのだろうか?
<人生の選択>
生きていくうちには、人生を左右するような重要な決断を迫られるときがある。
それが重要であればあるほど、
大きな違いを生み出すものであればあるほど、
誰かにどっちがいいか聞きたくなることがある。
もちろん、それがいけない、というわけではない。
ただ、そのときに「どっちに進んだらいいの?」
と尋ねているとしたら、考え直した方がいいかもしれない。
<あなたの人生の決定権は>
そう、「どっちに進んだらいいの?」という言葉は、
決定権を相手に委ねた言葉になっているからだ。
え、ただの言葉じゃないの?と思うかもしれないが、
こうした、ふとした言葉の端々に、
その人がどんな意識でいるのかが浮き彫りになって来るもの。
自分の人生、自分で責任を持って生きてこうとすれば、
決定権は自分にある、と意識をしておくことは大切。
変な人生になったのは、誰かほかの人の責任だと、
叫ぶことができるかもしれないが、
叫ぶだけでは、改善してはいかない。
<決めるのは自分>
迷うようなときは、いくら考えてもわからなかったり、
不安があったりするもの。
自分が決定するための情報を集めるために、
いろいろな人に尋ねることは有意義。
それで、心が決まるときもあれば、
それでもよくわからないこともある。
しかし、決めるのは自分。
考えることもOKだし、自分の直観を信じるのもOK。
<どちらに行っても>
救いなのは、どちらに行きたいかわかっていないなら、
実は、どっちに行っても大きな違いがないということだ。
後戻りをしたっていいし、後戻りができないのだとしても、
進んでみて、体験したことは必ず役に立てることができる。
おかしな方向だなって思ったら、修正することができる。
紆余曲折があることは、単に順調な人生よりも
豊かで密度が濃い人生だと言えるかもしれない。
覚えておきたいのは、
自分の人生は、いつでも自分で進む方向を決められるということだ。