気づきの伝道師 藤井一規です。
恐れを抱くと、いつもならできるはずのことも出来なくなってしまったりする。
後先考えずに思いっきりやってみたら、出来てしまったりする。
今日は、ナイチンゲールの言葉から、思い切ってやってみることの価値を考えていく。
<ブログ>
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この記事の目次
「恐れを抱いた心では、何と小さいことしかできないことでしょう」
by フローレンス・ナイチンゲール(英国の看護師、統計学者、看護教育学者)
看護師になるときには、今でも神聖な戴帽式が行われるところがほとんどだろう。
ナースキャップ、ナイチンゲール像からの灯り、ナイチンゲール誓詞。
なぜ、ナイチンゲールなのか。
そして、統計学者、看護教育学者とある意味を考えると、
単に看護師という枠では測れない彼女の姿が浮かんでくる。
<看護師>
看護師は、19世紀中ごろまでは、単に病人の世話をする人という扱いで、
専門性も低いと考えられ、召使い的な扱いをされていた。
当時ではナイチンゲールのように裕福な家庭に育った人が
看護師になることは考えられなかったといっていい。
看護師の重要性に気づいていたナイチンゲールは、
優秀な看護師となるだけでは不足で、医療の世界で大きな変革が必要だと考えた。
そして、単に看護師としてのスキルだけでなく、科学的な知識、
さらにはマネジメントの能力も身に付けていった。
夫人病院長となって各地を巡って現状を調査し、
専門性を持った看護師の育成の必要性を訴えるようになっていくが、
なかなか理解されるものではなかった。
<従軍>
大きな転機は、クリミア戦争への従軍といえる。
戦地の傷病兵の状況の悲惨さが伝えられると、
ナイチンゲールが看護師を目指すきっかけともなった
当時のハーバート戦時大臣からの依頼をうけ、自ら仲間を連れて従軍する。
ところが、現地の軍医たちは突然現れたナイチンゲールたちを
自分たちの権限と領分を奪い、立場を危うくするものと捉えて、
官僚的な言い分の元に拒否しようとした。
しかし、ナイチンゲールはあきらめず、
担当が決まっていなかったトイレ掃除から入り込んでいった。
戦地では傷病そのものよりも、衛生状態の悪さから死亡率が上がっていた。
現在でも、病気の流行の防止は、正しい知識をもつことと、衛生状態の改善がカギになっている。
状況を知った大臣は、ヴィクトリア女王からナイチンゲールに対して
直接報告書を届けるようにとの命令書をとりつけ、病院内に貼り出させた。
そして継続的に活動、バックアップも得られるようになって
42%だった死亡率は、5%までになった。
<戦後>
帰国後、病院の状況を分析し、衛生行政についての数々の統計的資料を作成する。
それらは、行政および陸軍の誤りを指摘することになるもの。
当然快く思わない者、邪魔をしようとする者もたくさんいたはず。
多くの抵抗にも出会ったことだろう。
それでも、尻込みしていては変わらないこと、
出来ることも出来なくなってしまうことを知っていた。
恐れているばかりでは、大きな違いは起こせない。
彼女は相手を選ばす、軍、政府、王室だろうと直言していった。
<遺したもの>
ナイチンゲールは、献身的な看護師としてのイメージが先行するが、
事実と統計に基づいた医療衛生改革者といったほうがあたっているかもしれない。
病に苦しむ人にとって、看護師の存在はとても有り難いもの。
強い意思と使命感を持って、取り組んでくれる看護師の象徴として、
ナイチンゲールはぴったりの人。
何に取り組んでいるときも、フェアでオープン。
相手が誰であってもひるまなかった。
自分の信じたことをまっすぐ進めていった。
誰でも、恐れをいただくことがあるもの。
周りを恐れ、未来を恐れたまま踏み出すだけではうまくいかず、
却って進むことができなくなってしまったりする。
進んでいきたいのなら、思い切ってやってみたい。
大きく踏み出すのが恐いなら、
ここまでなら大丈夫と思えるところまで、
たとえ小さな一歩でもいいから、自信を持って踏み出してみたい。