気づきの伝道師 藤井一規です。
退屈なとき、どんなことをしているだろうか?
最近は、スマホ(スマートフォン)をいじることが当たり前のようになってきているが、
スマホがなかったらどうするだろうか?
今日は、人生のお供にしたいものについて考えていく。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/11056/
この記事の目次
「生きるかぎりは歌いながら行こうよ。道はそうすれば、それだけ退屈でなくなる」
by ウェルギリウス(古代ローマの詩人)
現代社会は便利なものがいっぱいある。
しかし、手放しで歓迎されるようなものばかりではないようだ。
人生の友に望ましいものとは何だろうか?
<便利な時代>
世の中は便利になった。
日々の生活に必要な行為を代わりにしてくれる電化製品。
移動するための施設。娯楽もとても身近なものになった。
通信網、コンピュータの発展は、
直接のコミュニケーションとは違う、コミュニケーションの形態を生み出した。
そして何と言っても、インターネットによって世界中に簡単につながれるようになった。
リアルだけの世界から、仮想の世界に触れる機会が格段に増えた。
<新たなストレス>
日々の生活の重労働は、ストレスを生み出していた。
そのストレスを減らそうと、便利なモノを次々に生み出し、
もくろみ通りにストレスは解消されたかにみえた。
リアルな関係だけの、ある意味刺激が限られた状態から、
ものすごい量の情報刺激を受けるようになり、
新たなストレスとなってきている。
数年前では考えられないようなスゴイことが
次々に実現していることは、素晴らしいことでもあるが、
人間の方が追い付かない状況になっていたりもする。
<便利を離れたら>
まる一日スマホを手放してみる。
インターネットから離れてみる。
あなたは、どんな楽しみを持っているだろうか?
何をしたらいいか、途方に暮れたりしないだろうか?
旅行や、映画、読書、などをあげたかもしれない。
もし、スマホやインターネットがなければ楽しむものが思い浮かばないのだとしたら、
何か見つけておきたいもの。
そして、さらに移動手段を手放し、映像設備を手放し、本を手放してみる。
もう一段階、いつでもどこでも、道具がなくても楽しめるものを持っているだろうか?
<いつでも>
誰かとおしゃべりすること、一緒に遊んだりもいい。
共に時間を過ごせる誰かがいるって、素敵なこと。
そう、家族や友達、共に過ごせる誰かがいてほしいもの。
傍に誰かがいるだけで、リアルなつながりには力があったりする。
さらにあなた一人であっても、道具も設備もなくても楽しめるものを考えてみる。
もちろん、答えはいくつもあるけれど、
歌はその代表的な一つ。
お金がなくても、道具がなくても、相手がいなくても
いかなる状況でも退屈を埋め、楽しみを生み出してくれる。
好きな歌を思えば、口ずさめば、気分もよくなってくる。
自分のお供となる歌を何かもっていたいものだ。