気づきの伝道師 藤井一規です。
相手に対して、こうしてほしい、ああしてほしいと要望すること、期待することってあるもの。
しかし、知らず知らずのうちに、ただのわがままな要求になったりする。
また、相手のために尽くしているつもりが、親切の押し売りになっていたりする。
今日は、ひとを思いやることについて考えていく。
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この記事の目次
「自分に思いやりが足りない人ほど相手に思いやりを求める。自分の言葉が相手を傷つけていないか、まず反省してみること」
by 美輪明宏(シンガーソングライター、俳優、演出家、タレント)
どうして思いやりがないの?とか、
こんなにあなたのことを思っているのに!
そんなことを言ったり、聞いたりしたことはあるだろう。
思いやりとはどんなものか、掘り下げていきたい。
<思いを遣る>
思いやるは、「思い遣る」と書く。
相手に対して、「思い」を向けたり、与えることを指している。
自分を大切にしようと、自分にばかりに向かいがちな意識を、
相手を大切にしようと、相手に向け、相手のためになることに遣う。
なにも、ものすごいことでなくてもいい。
頑張っている人に、「体調に気をつけてね」と一言掛けることも、
相手を認めていくことも、感謝を伝えることも、
思いを相手に向け、与えることになっている。
<わがままな要求>
自分に、思いを向け、与えてくれる人がいることは幸せなこと。
誰しも、自分のことを認めてほしい、大事にしてほしいと望んでいる。
そこから飛躍して、大事に思っているなら、思いを私に向け、与えるのは当然だ。
と考えて、思いやりを要求してしまったりすることがある。
思いやりを手に入れることばかりに意識が向かい、
自ら思いやることを忘れてしまっている。
自分のことを思いやってくれるひとがいたら、
その人のことを思いやる気持ちが起きやすくなるって、
気づいているはずなのに、
思いやりに飢えて、求めて、醜くなってしまっている自分の姿に気づかないでいたりする。
<思いやりの押し売り>
思いやるときに、見返りを期待しているとしたら、それも残念。
思いやったときには、見返りなど意識していなかったとしても、
あれだけしてあげたんだから、
これくらいは返してくれるのは当然。
という思いが、後から湧いてきたりすることもある。
また思いやったつもりが、押し売りになっていることだってある。
思いやりは貸し借りとは違う。
したからといって、返ってくるとは限らない。
ましてや利子がつくようなものではない。
<思いやりは自分のために、相手のために>
思いやりの気持ちを持つときは、
内向きの意識を外向きに切り替えることができたとき。
自分の外にも大切なものがあることに気づけるとき。
そう、自分の大切なものがいっぱいあるってことを感じられる時間。
思いやりを持てるときは、自分の宝物が増えること。
自分のためになることなのだ。
だから、その思いやりが本当に相手のためになることかどうか、
思いやりの押し売りになっていないかも考えていきたい。
思いやったつもりが、却ってありがた迷惑になることだってある。
そして、相手の思いを受け取ったときは、
ありがたいことに気づき、ありがたいことのある幸せを味わっていきたい。