気づきの伝道師 藤井一規です。
あなたの意識する相手とは、どんな相手だろうか?
知らず知らずに憎むべき相手や、こんな風にはなりたくない、
という相手を意識していないだろうか?
今日は、意識すべき相手とはどんな相手かについて考えていく。
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この記事の目次
「軽蔑すべき者を敵として選ぶな。汝の敵について誇りを感じなければならない」
by フリードリヒ・ニーチェ(独の哲学者、古典文献学者)
人は、何を意識するかでその結果が異なってくる。
勝ちたい、負けたくない相手をどう設定するかは、
自分を高めるために大きな違いを生むという。
どうしていけばよいだろうか?
<ここでいう敵とは>
「敵」というと、戦う相手だとか、
うらみをもって立ち向かう相手、といった意味に捉えることが一般的かもしれない。
しかし、ここでは意識する相手であったり、
好敵手とか切磋琢磨し合うライバルという意味のほうが妥当だろう。
私たちは意識する相手として、
あんな奴には負けたくない!
という相手を選んでしまうことがある。
いや、その方が多かったりする。
<どこに意識を向けているか>
その場合、自分の意識は、本来なら見たくないもの、
聞きたくないもの、感じたくないものの方に向けられていることになる。
人間の脳は、否定語を理解することはできない。
というか、言葉そのものを捉えるようにできている。
「事故に遭わないように」という言葉は、一見良いように思えても、
「事故」をイメージさせることになってしまうのだ。
「あいつのようにはなりたくない」
であれば、なりたくない姿を思い浮かべることになる。
避けたいモノ、なりたくないモノを意識すればするほど、
そちらに意識が向かってしまうってこと。
<敵は自分のレベルを示す>
そう、敵として選んだ相手は、自分とは近いレベルにあり、
たびたび思い浮かべているよと、宣言するようなもの。
嫌な面、軽蔑したくなる面は、
もはや取るに足らないところとして扱って、
自分が手に入れたいと望んでいること、
もっと成長させたいことに意識をむけていきたい。
<望ましいこと、手に入れたいこと>
たとえば、
「事故に遭わないように」だったら、例えば、「安全にね」とか。
「あわてないで」は、「ゆっくりね」とか。
だから、意識する相手を選ぶなら、
あなたが意識していることを誇れるような相手にしておきたい。
私だって、やるぞ! 上回ってやるぞ!
という相手にしておきたい。
そう、自分の成長のために敵を選ぶ方が賢いのだ。
敵を誇りに思えるような相手にできたなら、
あなたに手に入るものは、きっと大きく違ってくる。