気づきの伝道師 藤井一規です。
自分らしくあるとはどういうことだろうか?
森林太郎は、森鴎外として知られる人気作家、軍医であったり、官僚であったり、
数々叙勲を受けるなどの輝かしい肩書がいっぱいあるが、
墓には名前だけにしてほしいと遺言した。
今日は、死を通して自分らしく生きることについて考えていく。
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この記事の目次
「森林太郎トシテ死セントス 墓ハ森林太郎ノ外一字モホルベカラズ」
by 森 鴎外(小説家、評論家、翻訳家、陸軍軍医、官僚、医学博士、文学博士)
人は何を求めて生きるのだろうか?
人気も、地位も名誉も持っていた森鴎外こと、森林太郎は、
全ての飾り文句を不要とし、森林太郎の名だけを墓に刻むことを望んだ。
しばし、考えていきたい。
<遺書>
島根県の石見に生まれた森林太郎。
死を前に、信頼できる友人に遺言を託す。
文学の世界でも人気となり、
一国の軍医のトップに立ち、官僚にもなり、
数々の名誉職を歴任、叙勲も・・・
人気も、地位も、名誉も、お金も、全て得たと思われる彼が、
最期に残したいモノとはなんだったのか?
<救命救急士の経験>
死を前にしたとき、人はどんなことを考えるものだろうか?
救命救急士のマシュー・オライリー氏はTEDのスピーチで、
自分の突然の死に直面する場合には、3つのパターンがあると言っている。
1.自分の過去を悔い、許しを得ようとする。
もっと家族との時間を大切にすればよかった。
など、悔やみながら、許しを得たいと思う気持ちが現れたりするという。
2.自分のことを覚えておいてもらいたいと願う。
たくさんの死を前にした方が、見ず知らずの救命救急士の彼に向かって
「私を覚えていてくれる?」と言ったという。
自分が生きたこと、存在したことを遺したいという気持ちが強くなるという。
3.自分の人生をもっと価値のあるものにしたかったと遺す。
未来に向けて、まだやりたいことがあった。
生きた証をより素晴らしいものにしたかった・・・
と伝えるものだ。
<認めてもらいたい自分とは>
3つのパターンには、自分には存在する価値があったと感じたいし、
周りにも認めてもらいたいという思いがそれぞれ含まれている。
何をもって価値があったと感じるかは、ひとそれぞれだし、
何をもって認められたと感じるかも、人によって異なるだろう。
それでも、ひとり一人の中に、認めてもらいたい自分、というものがあるのは確かなこと。
ある人にとっては、
地位や名誉を得たことかもしれない。
大きな貢献を遺したことかもしれない。
愛する人からのひとことかもしれない。
それとも・・・
<死を前に望むこと>
森林太郎は、華やかな世界を多く経験し、
その虚しい面を感じ取っていたのかもしれない。
肩書や、数々の貢献や、賞賛で飾られたものは、
本当の自分自身とは何か違う、違和感のあるものになっていたのかもしれない。
死を前にして、これからは
石見生まれの、ひとりの森林太郎としていたい。
という思いを強くしたのではないか。
もちろん、これは森林太郎が望んだことであり、
あなたが望むことは全く違っていい。
ただ、死を意識してみると、これからの人生での選択が変わっていくかもしれないと思う。
今一度、先延ばしにしていることや、手に入れたいことを意識しなおしてみてもいい。