気づきの伝道師 藤井一規です。
調和というと、どういう状態を思い浮かべるだろう?
矛盾や衝突がない状態だとされるけれど、
どのように得ていくものなのだろうか?
今日は、調和について考えていく。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/11885/
この記事の目次
「本当の調和というのは、お互いに意見をぶっつけ、フェアにぶつかりあうこと」
by 岡本太郎(芸術家)
調和というと、ぶつかり合うこともなく、
初めからお互いに妥協し合った状態のように思うかもしれない。
しかし、岡本太郎は、そうではないという。
調和について、もう少し考えていきたい。
<調和とは>
ことバンクによると、調和とは、
全体がほどよくつりあって、矛盾や衝突などがなく、まとまっていること。また、そのつりあい。
となっている。
調和した状態が望ましい、そんな風に考え、
自分の意見を言わなかったり、人とぶつかることを避けてしまったりするような
ことになっていたりしないだろうか?
特に日本では、ぶつかることを良しとしない傾向があるかもしれない。
なんとなく、主流の色に染まっていくばかりになっていないだろうか?
<視点によって答えは変わる>
確かに、誰もが、自分は正しいと思いたいものだし、
自分の都合は優先したい。
自分からみて正しいからといって、
他の人からみても正しいとは限らない。
どの立場から考えるかで、答えは違ってくる。
ということは、どんなモノであっても、ひとつの視点から見ているだけでは、
その全ての姿を見ていることにはならないということだ
月であれば、地球からはいつも同じ面が見えているが、
月の裏側を見るには、地球を飛び出したところから見る必要がある。
また月の内部を見るには、別の視点が必要だ。
<より望ましい状態>
だから、いろいろな視点から意見をだし、
ひとつの立場からの考え方だけにとらわれることなく、
いろいろな立場からの考え方を、
冷静に、フェアに扱うことで、初めて気づけることがある。
主流派だけの意見を取り入れることになるとしたら、
誰かが虐げられていても、放置されてしまうかもしれない。
何がより望ましいかなんて、答えはあらかじめ決まってはいない。
ひとりが気づけることにも限界がある。
まずは、自分の忌憚ない意見を出して、
フェアにぶつけあうことは、より望ましい答えに気づくために
重要なステップとなっていく。
もし、自分の意見を飲み込んだままになっているとしたら、
考え直してみていいかもしれない。