気づきの伝道師 藤井一規です。
誰かにあなたの思いを、メッセージを伝えようとするとき、
どのようにしているだろうか?
多くの人の前で話さなければならなくなったときなら、
原稿を使うこともあるかもしれない。
そんなときに思い出しておきたいことがある。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/11928/
この記事の目次
「人の心を打つためには、下を向いて原稿を読んではダメだ」
by 盛田昭夫(実業家)
ソニーの創業者である盛田氏は、
スピーチをするときに原稿を持たなかったことで知られている。
そこにある意図、どのようにすると相手に伝わりやすいか、について考えていく。
<読み上げ>
ながながと、ただ原稿を読み上げる挨拶に出会うことがある。
平板な調子で、2時間も原稿を棒読みする講演に出会うと、
なんだかつまらなくて、早く終わらないかなあ、と思ったりする。
ところが、原稿をもっていても、強いメッセージが伝わってくる場合もある。
結婚式で、新婦から両親へのメッセージを原稿を持って伝えることがあるが、
両親に、そして聞き手にも強いメッセージが伝わってくる。
両者には、どんな違いがあるのだろうか?
<意識の方向>
原稿を読むとき、話し手の意識は、原稿に向かいがちになる。
メッセージを聞き手に伝えるならば、
聞き手の方に意識を向けたほうが伝わりやすい。
患者のほうを一切みることなく、カルテばかりを見ながら話す医者がいたら、
ちょっと失礼ではないかと思ったりする。
盛田氏も、原稿なしでスピーチをすることについて記者にとわれたとき、
「君は結婚しているのか?」と聞き、していると記者が答えると
「奥さんにプロポーズしたときに原稿をみながらしたか?
人の心を打つためには、下を向いて原稿を読んではだめだ」
と答えたという。
<共感を生む>
伝えたい相手の方を向くことは、メッセージの方向を明らかにする効果がある。
原稿だけに意識が向いていては、その効果は得られなくなってしまう。
目と目を合わせるということも、思いを伝えるという効果をもっている。
いくら熱いメッセージであっても、あらぬ方向へ飛んでいくのでは、効果が減ってしまう。
そこに生まれる場の効果がある。
これに対して、新婦から両親へのメッセージのときは、
視線は原稿に向かっていても、
両親は聞きたい。娘は伝えたい。という場が出来上がっている。
話される内容は、共有されたところがあって、
お互いの中で過去の体験や、想いが蘇ってきていたりするし、
感情も自然にあふれだしてくる。
その周りで聞いている人たちにとっても、
自分の体験と照らし合わせて、容易に想像でき、
共感しやすくなっている。
このように共感しやすければ、原稿があっても
邪魔にはならなかったりする。
<伝わるために>
どんなにすばらしい内容でも、意識を原稿だけに向かって、
ただ読み上げるだけでは伝わる効果は低いものになってしまう。
聞き手が聞きたい、話し手が伝えたい、という場を生み出すこと。
それには、共感しやすい内容を取り入れたり、
伝えたいあなたの思いをのせていくことは、大切なこと。
思いがあふれていけば、自然に意識は原稿から離れてもいく。