気づきの伝道師 藤井一規です。
江戸時代の末期、松下村塾を開き、
明治維新に関わる多くの人材に影響を与えた吉田松陰。
長い期間、監獄にいたことも知られている。
監獄に囚われれば、たいしたことはできないと思ってしまうかもしれないが、
松陰は投獄されていたことも苦にせず、大きな影響力を発揮することができた。
どのようにして実現していったのだろうか?
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/11970/
この記事の目次
「獄中にあっては 獄中でできることをやるだけである」
by 吉田松陰(武士、思想家、教育者)
自分にできることは何なのか?
いまの条件であってもできることは何なのか?
できることを実践していくことの大切さについて、
もう少し学んでいきたい。
<野山獄>
最初に囚われていた野山獄は、長期に収監された囚人が多かった。
10数年とか、長い者では40年以上。
皆、もはや社会復帰などあきらめ、お互いに関わることもなく、
大変暗い雰囲気だったという。
入獄するや、それぞれの自己紹介を始めた松陰。
松陰はそこにいた1年2か月の間に、618冊の本を読んだという。
1日1.5冊くらいのペースだ。
また、積極的に獄外との交流を続けている様子は、
次第にそこにいた一人一人の心に響きはじめる。
そして野山獄では学びあいが始まり、囚人だけでなく、
看守たちも入っての学びの場への変わっていく。
<ホリエモン>
時代は変わって、堀江貴文さんは収監されていたとき、
毎日日記を書いていたことが知られている。
「刑務所に入っても、自分にしかできない仕事を追求したら
『日記を書くことだ』だったわけで」
刑務所内でのこと、外から送られてくる情報から考えたこと。
常に社会とつながり続けること、そして、考えることを続けていた。
何もせずボーっと過ごすことは、誰にでもできる。
自分にできることを求めていった彼は、日記にたどり着いた。
<制約があっても>
両者とも、社会とのつながりを保ち、考えることを続けていた。
明日への希望を紡ぎ続けていた。
制約があっても、その制約の中でできることをする。
収監されていれば移動の制限があるけれど、考える時間はたっぷりとれる。
マイナス面もあるが、その環境ならではのプラスの面もある。
自分の置かれている環境には、様々な制約があるかもしれない。
それと同時に、その環境ならでは、そして自分だからできることが存在している。
今一度、考え直してみてもいいかもしれない。