気づきの伝道師 藤井一規です。
豊かさ、貧しさって、どんなものだと考えていますか?
これまでもたくさんの名言が、そのヒントを教えてくれています。
今日はふたたび、豊かさ、貧しさについて考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/12019/
この記事の目次
「貧しい人とは、何も無い人ではなく欲しがる人」」
by ホセ・ムヒカ(元ウルグアイ大統領)
私たちは豊かでありたい。
しかしところで、豊かであるとはどういうことだろうか?貧しさとは?
しばらく考えていく。
<豊かさとは>
豊かさとは、欲しいものがすぐ手に入ったり、
たくさんあったりすることだと考えやすい。
だから、欲しい物は何でも与えられる生活があるとしたら、
それって、ものすごく幸せなことはないか? 思ったりする。
たしかに、欲しいものが手に入ったとき、幸福感を感じることができる。
うれしいし、これ以上の幸せはない!なんて気持ちが湧いたりする。
しかし、実際にはどこまで贅沢をしても、幸福感は持続しないことに気がつく。
手に入った瞬間、そこにあることは当たり前のことになっていってしまうからだ。
いや、それは誰かから与えられたからで、
自分の努力で手に入れたのではないからじゃ?という疑問もわく。
たしかに、自分の努力によって手に入れたときは、
だれかから与えられるより達成感がある。
ところが、達成感も、幸福感も持続ことが困難なもの。
時とともに、減少していってしまう。
人は良くも悪くも慣れる生きものなのだ。
<幸福感はどこからくるか>
幸福を決定するものの割合を、リュボミアスキー教授は
1卵生双生児と2卵生双生児の研究から割り出した。
それによると、約50%が遺伝で決定づけられたものに起因し、
生活環境に起因すると思われるものは8〜10%程度、
その残りの約40%はそれ以外の要因、それは
私たちの日々の意図的な行動によるものであるとしている。
お金とか、望ましい生活環境とかは、10%しか影響を与えていない。
遺伝を横に置いておくとすれば、
日常の意識の持ち方、行動の仕方が幸福を決定しているというのだ。
<既に幸福>
同じ環境にあっても、
あれがない、これがない。と、今存在していなモノの方に意識が向かう人もいる。
すると、なんて不幸なんだ! どうして恵まれていないんだ!
という考えに囚われがちになる。あれが欲しい、これが欲しいという方向に意識が向かう。
この状態が貧しいといえるのではないか。
ああ、これがある、あれもある。と、既にあるモノの方に意識が向かう人もいる。
すると、恵まれている自分に気づいたりする。
もちろん、できるだけモノをもたないようにして、心清らかにいなさい。
などと主張するつもりはない。
ただ、強い幸福感がなくても、すでに幸福は存在している。
当たり前になっているから気づきにくいだけで、
既に幸福があることに気づくと、
恵まれている自分、豊かな、満たされた感覚を得ることができていく。