気づきの伝道師 藤井一規です。
ひとには、思いやるチカラがあります。
誰か大切な人を、守りたいものを思いやり、
自分のことを差し置いても何とかしようとしたりします。
今日は思いやることについて考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/12100/
この記事の目次
「私にとっての真の宗教とは思いやりの心だ」
by ダライ・ラマ14世(僧侶、政治家)
チベット仏教の最高指導者 ダライ・ラマは言う。
私にとっての真の宗教とは、思いやりの心だと。
しばらく、この言葉について考えていきたい。
<宗教>
世にはさまざまな宗教がある。
真理や心の平安を求めて、
そこにたどり着くための考え方がそれぞれ違ったりしている。
神道のようなすべてに神が宿るとするもの。
唯一の絶対神や預言者をもとにしようとするもの。
修行を積み、悟りに至って救われようとするもの。
教えを大切にしようとするもの。
・・・
しかし、どれもが真の幸せを追求しようというもの、
という点においては変わりがない。
<思いやり>
その共通なところにあるものが、思いやりのようだ。
思いやりの気持ちは、単に自分のためにすること以上のチカラを発揮したりする。
たとえば、愛する子どものためだったら、親は命に代えても守ろうとしたりする。
自分のためだったら、頑張れないようなことも
大切な人のためだったら、頑張れたりするのだ。
お互いのためを思いやることができたなら、
それぞれが自分のためだけにすること以上のことを
生み出すことができる。
<宗教を超えて>
ダライ・ラマは宗教、宗派を超えて、
思いやりが最も大切なものだと伝えている。
マザー・テレサはキリスト教徒だけれども、
思いやることの大切さを繰り返し説いている。
思いやることは、人間にとって、もっとも根源的なものなのではないだろうか。
人間は、人の間と書くように、人と人とのつながりがあってこそ。
それを円滑に、円満にしていくことができるのは、
思いやりの心あってこそ。
<大切にしたいこと>
さまざまな人間関係が存在するかもしれない。
いろいろな利害関係もあるかもしれない。
しかし、お互いに思いやる心を持ちあわせていれば、救いが生まれる。
宗教の教義といったものを超えて、
思いやりが私たちを幸せに導くことを
ダライ・ラマは伝えようとしているに違いない。
今、この瞬間、あなたは、誰のことを思いやることができるだろう?
そしてそれは、あなた自身の幸せにもつながっていくことなのだ。