気づきの伝道師 藤井一規です。
世間から拍手喝さいを浴びたいと思う人はいます。
周りから評価されるということは、自分に対する自信になります。
しかし、自分らしく生きているという実感がないと、満足を得られないそうです。
今日はどのようにして、人生に満足を増やしていけるかについて考えていきます。
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この記事の目次
「世間からいくら拍手喝采をあびようとも、結局、自分らしく生きているという実感が得られなければ、何の意味もない」
by 齋藤茂太(精神科医、作家)
自分らしく生きることができれば、人生に満足が得られていく。
そりゃあ世間の評価は、よく評価されればうれしいけれど、
他人の評価に気を取られて、自分を歪めてしまうはいかがなものか。
もう少しこの言葉を味わっていきたい。
<拍手喝采>
誰しも世間から良い評価をいただけたとしたら、それはうれしい!
達成度を、自分の気持ちといった内面要因からのものよりも、
周りからの評価という外的要因で捉えている人は多い。
もちろん、周りの評価なんて気にせず、
自分の気持ちから達成度をはかる人もいる。
周りからの評価は、自己満足で終わらずに、
客観的な視点が持ち込まれるという利点がある。
客観性があるから納得しやすいという面はある。
<満足感は得られるか>
周りから評価されたら、それですべてOKなのか?
というと、どうもそうはいかない。
ときには自分では気に入っていないところが評価されたりする。
自分では、ちょっと失敗したな・・・と思っているところを
評価されたりすると、混乱したりする。
自分の内面の評価も大切な要素なのだ。
いくら周りから認められ、褒められても、
自分のなかで満足いっていないと、不足が生まれる。
逆に、誰からも評価してもらえなくても、
自分の中で、やり切った! 精一杯やった! うまくいった!
という気持ちが湧くことは、現時点での満足感を生んでくれる。
<自分らしいかどうか>
自分自身でスキルや質のレベルで達成度、満足度を決めるという方法もあるが、
自分らしいかどうかで、評価することを考えてみる。
それは、内面からの評価の基準を
さらに主体的なほうに近づけることになる。
世間から評価されるときは、誰もが納得いくような、
スキルや質のレベルが求められてくる。
もしくは、とても悲惨な環境の中、
頑張って達成することができたといったストーリーという
客観性が求められてくる。
これに対し、自分らしいかは、主観的に
自分の思いに、気持ちに沿ったものになっているかどうかだ。
<自分らしさがもたらすもの>
どちらかというと私たちは、周りからの評価を気にして、
自分らしさを押し殺してしまいがち。
遊び心や、尖ったところを削ってしまったり、
自分の心を覆い隠してしまう。
自分の心を自由に開放してみると、きっと新しい発見がある。
いままでにはない、新たな境地に気づくことができる。
もちろん、周りの評価がどうでもよい、というわけではないけれども、
自分の心を歪めてしまっているのであれば、
どこかに燃え尽きていないという感覚を残してしまう。
どこかに不満を残してしまう。
自分らしさの発揮、自分らしさの追求、もっとしてみても良いのではないだろうか。