気づきの伝道師 藤井一規です。
教養がある人、というとどんなイメージですか?
もはや何も学ぶ必要のない人のように思うのではないでしょうか?
しかし、そうではないという。
教養のある人間とはどんな人で、そこから何に気づくことができるでしょうか?
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/12216/
この記事の目次
「教養ある人間とは、勉強し続けなければならないことを自覚している人間のことである」
by ピーター・ファーディナンド・ドラッカー(オーストリア出身の経営学者・社会学者)
教養人と呼ばれれば、なんだか鼻が高くなる。
ちょっと自慢できそうな気持ちになるもの。
しかし、学び続けることを大切にする人こそが教養人という。
しばらくこの言葉を味わっていきたい。
<学ぶこと>
学びはいつ、どこでするものか?
学校を卒業したら、もう学ばなくていい!
と思った人もいるかもしれない、
小学校、中学校、高校、大学。。。
日々が学ぶことで精一杯だったりするから、
卒業は勉強からの解放! というわけだ。
しかし、実際働きはじめたりすれば、新たに学ぶことがいっぱい。
ああ、もっと勉強しておけば良かった。。。
と思ったりもする。
もういちど学びなおしたいと、
意欲を持って学ぼうとする人たちもいる。
<知識の陳腐化>
どんなに最新の情報や知識であっても、どんどん陳腐化していってしまう。
先端知識は時とともに、次第に当たり前のことになっていくのだ。
いままでわかっていなかったことを明らかにする活動は、
至るところで行われていたりする。
ときには常識と思われていたことが、
実は常識ではなかったことがわかったりする。
歴史などは、新たな発見によって、
史実は塗り替えられ続けている。
<宇宙定数>
アインシュタインが宇宙を表す方程式を考えたとき。
便宜的に、宇宙定数を書き加える必要があった。
しかし、式のシンプルさ、美しさという点ではいまひとつ。。。
アインシュタインはずっと気にしていたという。
そして、宇宙の研究が進むと、どうやら宇宙定数は不要ではないか?
ということがわかってきた。
アインシュタインは、四季が美しくなって良かった。
あの宇宙定数は間違いだったと、公言してはばからなかったという。
ところが、さらに研究が進むと、宇宙が加速膨張していることがわかった。
それを式で表現しようとすると・・・
やはり宇宙定数が注目を浴びることになった。
今度はマイナスの値をもつものとして。
<学び続ける>
全ての知識を知っている人はいないし、常に新しい知識が生まれている。
そして、知識と呼べるものは、生まれた瞬間から陳腐化が始まっている。
常に一定というわけではなく、新たに加わり、ときには
重要視されたり、否定されたり、再び脚光を浴びたりという変化が起きる。
だから、あるところで満足し、それ以上を求めなくなってしまったら、
古かったり、ひょっとしたら間違った情報を持ったままになってしまう。
学び続けることは、誰にとっても必要になってくることなのだ。