気づきの伝道師 藤井一規です。
挨拶するときって、どんなふうにしていますか?
挨拶の言葉をしっかり声に出すようにしているでしょうか?
それとも、軽く会釈をするとかでしょうか?
今日は、挨拶について考えていきます。
<ブログリンク>
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この記事の目次
「挨拶といっても、黙礼だけの挨拶では意味がない」
by 小出義雄(元陸上選手、指導者)
挨拶の言葉は、しっかり出さなければならない。という考え方がある。
一方に、必ずしもそうではない。という考え方もある。
どちらにも一理あるのであろう。
しばらくこの言葉を味わっていきたい。
<挨拶の言葉>
ご存じのとおり、言葉には意味がある。
さらに意味だけでなく、言霊というチカラがあるといわれる。
挨拶の言葉にも意味があり、チカラがある。
言葉として発することは、その意味とチカラを発揮することができる。
なので、できれば声に出したいもの。
それに声を出すことは、呼吸を誘う効果があり、
新しい酸素を取り入れやすくしてくれる。
自分に活力をもたらすことにもつながってくる。
<挨拶の文化>
また、挨拶をすることは当たり前だ、常識だ、という意識でいる人は多い。
「あの人は、あいさつもできない」
という批判の言葉を聞くことは珍しいことではない。
本人はしたつもりでも、相手が気づかなければ、
挨拶しなかったことにされてしまったりする。
黙礼だけでは、気づかれない可能性がより高くなってしまう。
声に出すことは、相手に気づいていただくという効果もある。
<黙礼で充分か>
どころが、いつも声を張り上げて挨拶すればよいというものではない、という考え方がある。
話をよく聞いてみると、
お店などに来たお客に、一斉に「いらっしゃいませ!」と声をかけるのは、お店によっては合わない。
大きな声を出すことがすべてではない、というものだ。
たしかに、落ち着いたリラックスするための場を提供しているお店なのに、
その雰囲気を崩すような一方的な挨拶は適当とは言えない。
相手を大切にするという考えのもとに
選択すればよい、ということだ。
<挨拶には意味がある>
どんなときでも、一律にすればよいというものではない。
一方的に投げつけておけばよい、というものではない。
しかし、やはり挨拶には意味がある。
声を掛けることは、相手と近づくきっかけにもなり、
相手の様子にも気づきやすくなる。
心と心をむすぶきっかけとして、
相手や自分の心を開くきっかけとして
役に立てていきたいもの。