気づきの伝道師 藤井一規です。
どうして、私は***なんだろう?
自分のふがいなさに気持ちが
向かってしまったりすることってあります。
完璧な人はいないというけれど、求める自分との差にがっかりしてしまう。
今日は、どのように自分と向き合っていくかについて考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/12247/
この記事の目次
「いくら自分に完璧を求めても、完璧な人間なんてどこにもいない。結局、自分や他人の失敗から学んでいくしかないんだ」
by アイルトン・セナ(F1レーシングドライバー)
誰しも自分の情けない部分があったりするもの。
そこに囚われて、自分の価値を貶めてしまうのはもったいない。
どのように考えていけばよいのか、
しばらくこの言葉をもとに考えていきたい。
<ありたい姿>
誰にも自分のありたい姿がある。
どんなに理想的に見える人であっても、
何らかの不足を感じ、情けない部分をもっていたりする。
一流と言われる人たちであっても、
不得意なことがあるし、いくらできているようでも、
そこに満足せずに、さらに努力を積み重ねていこうとする。
誰しも、常になんらかの不足を抱えていると言える。
<状態の捉え方>
同じ状態でも、捉え方はいくつもある。
グラスに半分の量の水が入っているとしたら、
半分しかない。と捉えることもできるし、
半分ある。と捉えることもできる。
もう半分の分をさらに入れることができる。
とも考えることができる。
グラスを大きいものにしたら、さらに入る水は増やせるかもしれない。
<今と未来>
今はこれだけしかできない。と捉えることもできるが、
今はこれだけできる。と捉えることもできる。
そして、より望ましい自分に近づいていくことができる。
人は今がすべてではない。
未来に向けて成長していくことができる。
情けないと思うところがあるのなら、
既に成長の余地があることに気づいているし、
目指す状態がどんなものかもわかっているということ。
目指す状態がわかっているなら、
手に入ったかどうかも分かるってこと。
違いに気づけていないと、目指すこともできないが、
気づいているなら、成長もしやすい。
<成長>
ふがいない自分に気づくとき、
つい情けない。。。という方向に意識が向かいがちだけれど、
自分には成長したいという意欲があることに気づきたい。
成長の意欲があるならば、失敗を活かして
気づき、学んでいくことができる。
できることはきっとあるし、成長することもできる。