気づきの伝道師 藤井一規です。
束縛や逆境、そして悲しみたち。。。
私たちの望みを阻もうとするものはたくさんあります。
しかし、こうした困難があればこそ、より強く進んでいけたりします。
今日は阻むものを、どう受け取っていくかについて考えていきます。
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この記事の目次
「束縛があるからこそ、私は飛べるのだ。悲しみがあるからこそ、私は高く舞い上がれるのだ。逆境があるからこそ、私は走れるのだ。涙があるからこそ、私は前に進めるのだ」
by マハトマ・ガンディー(印の弁護士、宗教家、政治指導者)
邪魔するものがなければ、楽に進んでいける。
しかし、邪魔するものがあればこそ、それらを乗り越える方法、
考え方をすることができる。
能力を高めるには、高い目標やハードルが必要だったりする。
しばらく考えていきたい。
<邪魔するものないほうがよいか>
人生できれば、大きな失敗や事故もなく、苦労もなく進んできたい。
そう望む人は多いかもしれない。
邪魔をされるなんて嫌だし、しなくても良い苦労ならしたくない。
それは自然なことかもしれない。
特に親であれば、自分の子どもには苦労させたくないと願い、
そのためにあれこれ手を尽くしたりするもの。
しかし、うまくいかないことを経験することで、気づくことがある。
何の準備もなく、素直に正直に進むばかりでは結局損をすることもある。
世渡りのために、本音と建前を使い分ける必要もあったりする。
<邪魔は成長の機会>
壁が現れたとすれば、その壁を乗り越える方法を身に付ける機会となる。
ひょっとしたら、飛ぶ能力を身に付けて、
どんな壁が来たって平気!ってなれるかもしれない。
これは、壁があることを経験したから、乗り越えたり、
壁があっても関係なく進む方法について意識することができる。
阻もうとするものがあれば、それを乗り越える方法について
取り組むことができる。
親はいつまでも子どもを護っていくことはできない。
だから、子どもが自分のチカラで進んでいけるよう、
能力を身に付けられるように促していく方が望ましいと言える。
<経験することは全て学びになる>
聖人のように思われがちなマハトマも、
欲に囚われたりする普通の人だった。
出会った経験から、気づき、学び、発見をしながら
自分にとってより望ましい人生を進んでいけばいい。
出会うことは、きっと経験する必要があって訪れている。
未来に向けてのプラスのメッセージを持っている。
そこからどうしていくかが問われているのだ。