気づきの伝道師 藤井一規です。
とある出来事をきっかけに、人生が変わってしまうことがある。
しかし、出来事そのものは事実でしかない。
では、どのようにして変化が起きているのだろう?
今日は変化が起きることについて考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/12454/
この記事の目次
「人々はよく人生を変化させてしまった出来事を恨む。でも、人生を変えるのは出来事ではなく、私たちが持たせた意味なのだ」
by アンソニー・ロビンズ(米国の自己啓発作家、コーチ、講演家 )
人生はある出来事をきっかけに変わっていったりする。
それは出来事が変えているというのではなく、
そこにあなたがどんな意味を与えたか、で決まるという。
しばらくこの言葉をきっかけに、変化が起きることについて考えていきたい。
<出来事と分類>
ある出来事に遭遇したとき、
私たちはそこに意味を見出すことができる。
辛いこと、大変なことと出会ったとき、
自分はついていないな。不幸な星の下に生まれたんだ。
と考えることもできるし、
未来のために、成長のために必要な
乗り越えるべき試練だって考えることもできる。
気づいておきたいのは、
自分がしがちな意味付けのパターンがあるってことだ。
<思い込み>
人によって、起きたことにネガティブな意味付けをしてしまいがちな人もいれば
ポジティブに捉えがちな人もいる。
どちらが、良いとか悪いとかではなく、
どんな風に意味づけをすることもできるのだ、
ということに気づいておきたい。
どんな意味をつけるかは、自分で決められるってことだ。
ただ、一度思い込んでしまうと、
その思い込みに囚われてしまいがちになることに気づいておきたい。
実際は、常に、自分が望むように意味付けは変えることができるのだ。
<100円あるとき>
目の前に100円があるとき、
100円しかない。という考え方もある。
100円もある。という考え方もある。
ただ、100円がある、という事実に対してどう解釈するかは、自分で決められる。
よく、まだ100円もあるという捉え方をするのがポジティブだ、と言ったりするが、
100円しかないから大切にしよう、という考え方にも素晴らしさがある。
こういう解釈しかない、という思い込みからは自由になれる。
ということに気づいておきたい。
<ひとそれぞれ>
事実に対して、どんな意味を見出すのか。
その人の傾向があると書いた。
自分一人で考えていると、発想が狭くなってしまいがち。
ときには他の人がどういう捉え方をするか、
もっと触れる機会を持っても良いかもしれない。
自分にない発想を手に入れることによって、
自分の可能性を拡げることができる。
どんな意味を持たせるかで、人生が変わっていくとすれば、
今の自分が望む意味をつけていきたいもの。