気づきの伝道師 藤井一規です。
日々を追い回されるように、忙しく感じている人もいるかもしれません。
時間を有効に、多くのことをこなしながらも、楽しんでいる人もいるかもしれません。
今日はどのように日々を送っていくか、について考えていきます。
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この記事の目次
「雲在嶺頭閑不徹 水流澗下太忙生」
by 禅語「虚堂録」より
雲は嶺頭に在って閑不徹 (かんふてつ) 水は澗下(かんか)を流れて太忙生(たいぼうしょう)
高い山の頂に、ポッカリとひとひらの雲。その眼を渓谷に向けると、忙しそうに音を立てて流れる水。
なんという緩と急の取り合わせで自然は成り立っているのだろう。
私たちの日常もこのようにあることが望ましいのでは?
この言葉をもとにもう少し考えていく。
<太忙生>
私たちの身体は、同じように見えても、休まずに動き続けている。
心臓は鼓動を続け、血液を全身に巡らせながら、
栄養や酸素を届けている。
呼吸をし、食事をすることも大切な活動。
身体の細胞は古きものから新しいものになっていき、
心は体験をしたことから気づき、学び、発見をしながら、
どんどん新しい自分になっていく。
<時間を活かす>
24時間に忙しく追い回されるように生きている
と感じているひともいるかもしれない。
なかには、何をして過ごせばいいのだろう?
とわからずにいる人もいるかもしれない。
まず、時間をどう使うかは、自分が決められる
ということを思い出していきたいものだ。
<閑不徹>
多くのことをこなさなければならないときであっても、
振り回されているような状態になるか、落ち着いていられるかでは、
大きな違いが生まれてくる。
さまざま、新たなことが起きてきても、
しっかりした原理原則、考えるときの基準を持っていれば、
慌てることなく対処することができる。
慌てるとは、心が荒れると書く。
心を閑(しずか)にしたままで、取り組んでいくこともきっとできる。
<静と動との調和>
自然は、静と動とを調和させている。
変わらないものと、常に動き続けているものと。
逆に、変わらないでいるために、動き続けているところもある。
常に、静と静とがある。
私たちの日常もまた、静と動とからなるとしたら、
何を、変わらないものとしていたいだろう?
何を動かし続けていたいだろう?
しばらく考えてみるのもいいかもしれない。
【自然は静と動との調和で構成されている】
★何を変わらないものとし、何を動かしつづけたいですか?★