気づきの伝道師 藤井一規です。
人は一人一人違います。
だから、誰しも違っているところがあり、
ときにはその違いを許容できないことがあります。
誰かと付き合っていくには、違いを許容できる必要があります。
今日は、ロバート・フロストの言葉から、人付き合いについて考えていきます。
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この記事の目次
「人付き合いがうまいというのは、人を許せるということだ」
by ロバート・フロスト(米の詩人)
いろいろな人と付き合っていくには、相手との違いが許容できる必要がある。
どのような付き合いをするかによって、許す度合いも違ってくるかもしれない。
たくさん許すことができればよいか、というと、違うかもしれない。
人を許すことについて、もう少し掘り下げていく。
<許す>
ひとりひとり、違いを持って生まれ、育ってきている。
ある人にとっては当たり前だったりすることも、
あなたにとっては、許しがたいことだったりすることがある。
自分の大切にしている価値観を傷つけるような相手だとしたら、
付き合いは御免こうむりたくなる。
しかし、なんらかの関係を持たなくてはならないこともある。
そんなときは、付き合いの深さをコントロールして、
傷つけられずに済むようにしていたりする。
<許すvsストレス>
付き合いを広く、深くしようとすると、
耐えがたい思いを抱える可能性も高くなる。
なので、ときにはあなたが一方的に我慢をする羽目になることもある。
耐えがたい我慢を続けていては無理がくる。
自分の許容範囲をわかって、付き合い方をコントロールしていくのは大切なこと。
もちろん、自分の許容範囲を変えていく可能性もある。
よく考えてみると、どうでもよいところにこだわっていたりすることもある。
逆に、もっとこだわって、付き合いの範囲を狭くして、
深い付き合いをしていく、という選択肢もある。
<許すと赦す>
「ゆるす」には、「許す」の他に、「赦す」がある。
ふだん、どんなに許しがたい、と思っている相手であっても、
人としての存在は大切にする必要がある。
嫌な言動をするやつだったとしても、
困っていたり、傷ついていたりすれば、
「赦し」の気持ちをもって対応していきたい。
「赦し」の気持ちをもてば、ムリに「許す」感覚とは違った対応ができる。
神になったような上から目線ではなく、
ひとりの人として、自分と同じように愛すべき存在と捉える可能性はある。
普段の付き合いはしなくても、赦す気持ちは持ちあわせておきたい。