気づきの伝道師 藤井一規です。
同じものを前にしていても、周りの状況や
自分の状態によって、全く違って受け留めてしまったりします。
今日は、本質を捉えることの大切さについて考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/12888/
この記事の目次
「晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は 変わらざりけり」
by 山岡鉄舟(幕末から明治時代の幕臣、政治家、思想家)
飛行機で富士山の近くに行っても、曇っていたらその姿を見ることはできない。
しかし、富士山は無くなったわけではない。
私たちは同じものであっても、状況が違えば捉え方が変わってしまいがち。
どのように捉えていけばよいのだろうか?
<山岡鉄舟>
徳川幕府の直参であった山岡鉄舟。
忠節の鉄舟と呼ばれていたとも。
江戸時代に幕を引く、いわゆる江戸城の無血開城の際、
将軍慶喜の身の安全がまもられたのは、
鉄舟の主君への忠義心で突き付けられた条件をはねつけた、
その姿勢が西郷隆盛の心を動かしたからと言われる。
その後、西郷隆盛のたっての願いをうけて、
侍従として天皇に仕えることになる。
そしてそのことが、以前は将軍に仕えておきながら、
対立していたはずの天皇に仕えるようになったと、
批判の的にされたりもしていた。
<真に目指すもの>
今日の言葉は、鉄舟が将軍に仕えるのか、天皇に仕えるのか、といった
表面的な視点で考えてはいなかったことを示している。
とはいえ、いくら肝が据わった人間であっても、
そういう批判をたくさん受けるのは大変なことだっただろう。
ひょっとしたら、ストレスのなかで見出した言葉だったのかもしれない。
富士山は、晴れの日の美しい姿だけがもてはやされ、
曇りや雨であれば、残念なもの扱いをされてしまいがち。
しかし、晴れであるか、曇や雨であるかは、
富士山そのものの価値を変えるものではない。
彼にとっては、将軍に仕えるか、天皇に仕えるか、
鞍替えしたとかしないとかで、評価されるのは違った。
日本のためにという考えにたっていれば、一貫したものがそこにはあるからだ。
<状況を超えて>
深酒をして、おふざけをした明治天皇に諫言したと伝えられる山岡鉄舟。
私たちはつい、状況の変化に流され、周囲の意見に雷同したり、
表面上のことだけを捉えて判断してしまいがち。
何が本質か、自分なりに見極め、そのうえで判断していきたいもの。