気づきの伝道師 藤井一規です。
私たちは、自分だけで存在できているわけではありません。
この宇宙の恵み、周りの人たちからの助けがあってこそ。
どのように周りと関わっていくことが望ましいのか、しばらく考えていく。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/12978/
「相手に敬意を、自分に決意を」
by 東北福祉大学
プロ野球の菊池雄星選手の座右の銘として知られるこの言葉。
もとは、東北福祉大学の室内練習場にあったものだという。
もうしばらく、味わっていきたい。
<敵意>
相手とは何のことだろう?
スポーツ選手として考えたら、対戦相手かもしれない。
同じ場に立って競い合う相手を、敵意をもって迎えることもできる。
打ち負かすべき相手、勝つべき自分を強く意識できるという点で、
敵意を持つことには効果がある。
しかし、敵意を持つことは相手を否定しよう、ダメなものとして扱おうとする方向に意識が向かってしまう。
もし、相手の中に優れているところ、自分も持っていたいなって思えるところがあったとしても、
それも含めて否定してしまったりするのだ。
また、勝ちさえすれば何をしても良い、という意識につながってしまったりもして、
自分の中に、本来なら忌み嫌うべきものを抱えてしまいがち。
<敬意>
相手に、敬意を払うようにしていると、
相手の中にある素晴らしさを認め、素敵なところを認めることができる。
たとえ未熟な相手であっても、そこに成長しようとする意欲があれば
その意欲を自分のモノとすることができる。
相手を同じ志を持つ仲間として、敬意をもって捉えたとき、
自分の中に、大きく温かいものが生まれてきたりする。
もちろん、敬意があるからといって勝とうとする気持ちを
放棄しなさいというわけではない。
敬意を持つからこそ、真剣に競い合う。
勝とうとする決意、勝つために努力する決意、成長しようとする決意が大切になってくる。
<相手とは>
この言葉を改めて味わってみると、
相手とは、対戦相手とは限らないことに気がつく。
対戦だとして考えても、審判や、その競技場所や道具、
それらを整えてくれている人たち。。。
その場にあるもの全てが、敬意をもって捉えていきたいものだということに。
さらにさらに考えていけば、生きていくうえで、自分の周りにある全てのものが
大切な相手として存在していることに。
目の前のものひとつひとつを敬意をもって受け留めたとき、
新しい感覚が生まれてきたりする。
多くの人たちの存在、祖先から受け継がれてきたもの。
命を育んできた自然、地球、そして宇宙。。。
気づくことがきっとある。