気づきの伝道師 藤井一規です。
発明家というと、トーマス・エジソンの名を思い浮かべる人も多いかもしれません。
おそらく一度は聞いたことがありそうな有名な彼の名言について、しばらく考えていきます。
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http://shitsumon-alacarte.com/mental/12996/
この記事の目次
「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」
by トーマス・エジソン(米国の発明家、起業家)
この言葉に関しては、2つの解釈がされている。
天才と言ってもひらめきの部分はほんの少しで、努力することのほうがほとんどだ、
というものと、
どんなに努力しても、1%のひらめきがなければ意味がない。というものだ。
もう少し、考えていきたい。
<トーマス自身は>
どちらが彼の意図だったのかを考えるうえで、
彼の人生がどんなものだったかを知っておくことには意味がある。
発明王として知られるほかに、「努力の人」「不屈の人」と呼ばれていたりする。
また発明の権利を巡っては法廷での争いをいとわず、「訴訟王」とも言われている。
ひらめきの価値を知っていたのは間違いない。
子どもの頃は、当時の学校教育にはなじめず、与えられた教育はなかったが、
図書館などで独力で勉強し、知見を拡げっていった。
働きながらも学び続け、耳が不自由となっても努力を続けていたそう。
努力の大切さを、身に染みてわかっていたし、
あきらめずに取り組むことを重要視していた。
<発明とは>
エジソンの発明とされているもののなかには、
もともとはエジソン以外が発明していたのではないか?
と思われるものがたくさんある。
また、エジソンは素晴らしい発明であったとしても、
人に喜ばれるものでなければ、使ってもらえないことを経験し、
新しいものを生み出すということだけでは不足で、
役に立つものに仕上げることの大切さを意識していた。
だから改良発明の数も多い。
むしろ、アイディアを思いつくだけではなく、
ビジネスとして成立させてなんぼだ、という意識が高かったかもしれない。
いくらうまくいかなくても、成功にすこし近づいたという意識を持っていた。
<ひらめきと努力>
すくなくともエジソンは、努力の大切さを知っていた。
努力についての大切さについて何度も述べていることも間違いない。
努力というと、大変なもの、辛いものという捉え方をする人が多いかもしれない。
しかし、純粋な探究心を持ち続け、興味をもって楽しんで取り組むこともできる。
子どものころから、その喜びを知っていたエジソンは、
ワクワクしながら取り組んでいたのかもしれない。
そう考えてみると、努力も楽しいかもしれない。
エジソンは、ひらめきとひらめきを形にする努力との両方を大切にしていた。
ひらめきは一瞬かもしれない。努力には長い時間がかかるかもしれない。
それでも両方必要だと、言葉通りに伝えているのではないだろうか。