気づきの伝道師 藤井一規です。
私たちは周りからの影響を受け取りながら生きています。
知らず知らずのうちに、受け身ばかりの毎日になっていたりします。
自分のところに、何とかしなければならないボールが溜まっていってしまうもの。
今日は、マヤ・アンジェロウの言葉について考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/13004/
この記事の目次
「キャッチャーミットを両手にはめたまま生きるべきではない。投げ返すことも必要だから」
by マヤ・アンジェロウ(米国の詩人・作家)
自分から主体的に生きる人生と、受け身で生きる人生。
周りとの関係をうまくやろう、守ろうとするばかりに、
受け身になってしまうことって多いもの。
もう少し、この言葉を味わっていきたい。
<コントローラは誰がもつ?>
テレビのリモコンはだれの手元にあるだろうか?
見たい番組があるのに、自分の自由にならないとなれば、
イライラしたりするもの。
自分の人生であれば、コントローラは自分でもっていたいもの。
自分の意図した方向になるようにしていきたい。
主体的に生きていくことはとても大切なこと。
共有のテレビがあって、他の誰かと、見たい番組が違ったりして
チャンネル争いが起きたとしたらどうしていますか?
<周りからのボール>
もちろん、自分一人だけで生きているわけではないので、
周りとうまくやってくことは必要になる。
周りからのボールを受け取ることができないとなると、
軋轢を生み出してしまったりする。
ときには強引な玉や、不規則な玉も受け取りやすいように、
グラブやミットをはめることも必要だったりする。
なにもはめずにいたら、受け取れなかったボールが身体にぶつかってしまうこともある。
ときには、棘のあるボールを投げてくる人もいる。
真意を見極めて、受け取りやすくするグラブで、棘つきボールを
うまく扱う必要もあったりする。
自分の身を守るためにも、受け取るための工夫が必要だったりする。
<両手にはめてしまうと>
しかし、いくら大変なボールが多いからと、
両手に受け取る道具をはめてしまうのは逆効果だ。
受け取るだけに意識が向かうと、周りに振り回されてばかりになってしまう。
ボールは投げ返して初めて関係が成り立つ。
もちろん、棘のあるボールが来たからといって、また棘をつけて返せば、
関係が悪くなってしまったりもする。
ただ、自分の感じたことや、自分の意思を示すことは、
相手からの強引なボールを減らすことにもつながっていく。
この番組が見たいと相手に伝えておけば、共有のテレビで見るチャンスは増えるだろう。
共有のコントローラに触れる機会も増えるかもしれない。
受け取るばかりではなく、投げ返すことも大切なのだ。