気づきの伝道師 藤井一規です。
人間は損か得かにけっこう敏感なもの。
しかし、損か得かばかりに気持ちが奪われていると、
大切なことを見誤ったりするもの。
今日は、望ましい判断の仕方について考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/13021/
この記事の目次
「効率や損得にとらわれると、人間が小さくなる」
by 齋藤茂太(精神科医、作家)
効率的かどうかや、損得勘定ができることは素晴らしいことだけれども、
そればかりになってしまうのも考えもの。
特に損得勘定に絞って、この言葉をもうすこし味わっていきたい。
<損か得か>
損か得かは、判断基準のひとつになる。
得した方がうれしいし、メリットもある。
しかし、損得を金銭という基準で常に判断していると、
矛盾した問題が起きてくる。
これからも親しい関係を続けていきたいと思っている相手から、
その場かぎりでは得になりそうもない頼みごとをされたとき、
損だから引き受けない。という判断は妥当だろうか?
ビジネスだったらそれで当然!という人もいるかもしれない。
しかし、自分が困っているときに、無理な頼みを聞いてくれた相手がいたとしたら、
もし、相手が困っていたら、出来る限り何とかしたいと思うもの。
ときには単なる取引関係から、パートナーとして組むような関係になったり、
ビジネス関係という枠を超えた、深い関係を構築することができたりする。
その場の金銭的な基準では損をするかもしれないが、
損して得るものの方が多いこともあったりするのだ。
<フラフラすればなおさら>
政治の世界でも、そのときそのときで、メリットがある政党に鞍替えする政治家がいたりして、
気をつけたほうがいいと思われたりする。
身近なところにも、自分にメリットが無くなったと見るや
態度や、言っていることがコロッと変わってしまう人もいる。
お金の切れ目が縁の切れ目と、
急に冷たい態度を取るようになる人と出会うこともある。
金銭的な損得、その場限りの損得だけで動いているとしたら、
表面的な関係しか結ぶことができなかったりする。
変わることがいけないというわけではないが、
もしフラフラとその場限りの関係だけを続けているとしたら、
周りから見ていたら、信頼を置くことができない人だ
と思われていしまう可能性が高くなる。
<心に従う>
損得勘定にも意味はあるけれども、
ときには忘れて、心の感じたまま動いてみる。
相手のためにと思ってしたことで、実は自分の満足感を高めたり、
自分の価値を確認することができたりもする。
出来る範囲で、気軽に手助けしたことが
相手にとってはとても有り難いものだったりすることもある。
ふとしたときに、それが思わぬ形で還ってくることも多いもの。
自分一人でできることにはおのずと限界がある。
深い信頼関係のある相手がいることは、ものすごい財産になったりする。
論理的に考えた結果ではなく、心の感じたまま動いてみるのも大切なこと。