気づきの伝道師 藤井一規です。
私たちは、成長とともに、自ら作り出すということをし始めます。
何でも簡単に手に入る豊かな時代になって、
見つからないと、あきらめるケースも増えてしまっているかもしれません。
自ら創りだすことについて、もう少し考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/13193/
この記事の目次
「どこにもなかったら、自分で作ったらどうだい?できるかどうかはやってみなければわからないんじゃないかな」
by スナフキン(ムーミンより)
見つからなかったら、自分で作り出すことを考えてみる。
もっともっと、自分で作るという発想を拡げてみても良いかもしれない。
作り出すことについてもうしばらく考えていく。
<与えられて>
未熟な状態で生まれてくる私たち人間は、
必要なものを周りから与えられることに慣れていたりする。
食べ物も、着るものも、身体をきれいにすることも
世話をしてくれる親たちがいるからこそ何とかなる。
与えられることから始まっている。
そして、成長していくと、自分なりのものを作り出すことが始まっていく。
<便利な時代>
便利に、豊かにを追求してきた私たちは、
自分で作り出すよりも、誰かが用意したものをお金で買う。
と言う仕組みを生み出した。
確かに専門に作る人がいたほうが、
より便利だったり、デザインも素敵だったり、
生産性もよいかもしれない。
こうして、欲しいものはどこかから買ってくればよい、見つけてくればいい、
という方向に意識が向きがちになっているかもしれない。
そして、もし見つからないと、そのままあきらめてしまったりする。
<ないときは作る>
ないときには、自ら作り出そうとすることで
豊かになってきたのが人間。私たちのはず。
豊かななかにどっぷり浸かってしまい、
自ら作り出すことを忘れてしまったとしたらもったいない。
見つからないからといって、あきらめてしまう必要なんてない。
無ければ、つくっちゃえばいいのだ。
作ろうと思えば、作るための情報もすぐに見つかったりする。
もし見つからなかったら、あなたが最初の人になるチャンスかもしれない。
<作ることを楽しむ>
何かを作りだす喜びは、作ってみてはじめてわかるもの。
自分が手間暇をかけたものには愛着が湧いたりする。
ただ買ってきたものとは違う、思いが詰まっていたりする。
与えらえる側から、与える側になることは
成長の道を進んでいることでもある。
自分が生み出す喜びも、ぜひ味わっていきたいもの。