気づきの伝道師 藤井一規です。
世には天才と称されるような人がいます。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、驚異的な才能を発揮した一人といえるでしょう。
その彼が、運や努力についてどのように考えていたのかは興味深い。
今日は、ダ・ヴィンチの言葉をきっかけに、運や努力についてしばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/13208/
この記事の目次
「幸運は自ら努力する人にのみ宿る」
by レオナルド・ダ・ヴィンチ(伊の芸術家、万能人)
ダ・ヴィンチは、努力を大変重要視していた。
才能に恵まれた分、その才能を活かすことが与えられたことかのごとく。
努力を重ねて成長し、準備をすすめていく人の上に幸運が訪れる。
というこの言葉、もう少し考えていきたい。
<レオナルド・ダ・ヴィンチ>
レオナルド・ダ・ヴィンチは、絵画、彫刻はもとより、
音楽、建築、数学、幾何学、解剖学、生理学、動植物学、天文学、
気象学、地質学、地理学、物理学、光学、力学、土木工学・・・
もはやありとあらゆる分野に、その才能を発揮している。
あるひとつの分野の専門家、という言葉を霞ませてしまうほどだ。
しかし、大変な努力をしていたことも知られている。
そう、決して何も努力をせずに、次々に成果を生み出していたわけではない。
たとえば、人体の解剖図なども残しているが、冷房などない当時の環境であれば
相当の耐えがたい匂いのする環境に、何時間もいなければ描くことなどできなかった。
残されている習作の数々からも、探究や研究、試行錯誤を繰り返したうえで、
多くの成果を残していることがわかる。
<成功は努力か、運か>
成功したといわれる人に、成功の要因は運か? 努力か?を聞いてみる。
すると、運の要素と、努力の要素、どちらも存在することがわかる。
運だけで成功したとは言えず、努力の結果、
飛び抜けた実力を身に付けたからとも言えなかったりする。
決してNo.1の実力とは言えなくとも、
運の要素が働くと、実績に大きな影響が生まれたりする。
ピコ太郎が一躍有名になったPPAPも、努力によって生み出された
高いレベルの興味をひく動画だけれども、
ジャスティン・ビーバーがツイッターで発信する、という運が働かなければ、
世界あちこちで引っ張りだこ、という状況にはならなかっただろう。
<努力のベースがあってこそ>
運が働いて、大きな影響力をもつのは、
努力によって、ある程度の実力がある状態があってこそ。
どんなに運があっても、努力によるベースがなかったとしたら、
いっときのブームで過ぎ去ってしまうだけになる。
努力のベースがあれば、No.1の実力でなくとも
運が働いたときに、優勝することができたりする。
例えばオリンピックの金メダリストは、実力No.1なのか?
というと、そうではないかもしれない。
経済学の研究から、ある競技会で優勝するなる要因が、
実力が98%、運が2%だとすると、実力No.1の人が優勝する確率は、21.8%だという。
高いレベルで争われるなか、優勝には運の要素が働く。
<努力も運も意識する>
だから、努力も運も意識していきたい。
努力は、自分側の要因、内的要因と呼ばれたりする。
自分の頑張りは、もちろん大切。
しかし、全部自分のおかげだと考えると、周りに感謝したりすることを忘れ、
傲慢になってしまったりすることがある。
成功には必ず運の要素も働いているはず。
運は、自分ではコントロールできない要因、外的要因と呼ばれたりする。
何らかの運があることで、成功をつかんだり、
努力ができる環境を与えられたりしているはず。
運を意識できる人は、周りへの感謝をしたり、社会へ還元したり、
という意識も高くなるという。
できれば、努力も運も意識していきたいもの。