気づきの伝道師 藤井一規です。
仁・義・礼・智・信。
五徳と呼ばれるこれら5つ。
大切にされている方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、これら五徳も度を過ぎれば問題となったりします。
どういうことなのか、考えていきます。
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この記事の目次
「仁に過ぎれば弱くなる。 義に過ぎれば固くなる。 礼に過ぎれば 諂 ( へつら ) いとなる。 智に過ぎれば嘘をつく。 信に過ぎれば損をする」
by 伊達政宗(戦国大名)
良いとされることも、度が過ぎれば問題になる。
五常訓と呼ばれるこの言葉について、もうすこし考えていく。
<仁に過ぎれば>
相手を思いやることは素敵なことだけれども、
思いやりすぎ、優しくしすぎることで、
自分に重い負担を掛けることになってしまっている人はたくさんいる。
また、思いやりを掛けることは、ときには相手のためにもならないことがある。
相手はあなたの思いやりに甘え、自らの成長の機会を逃してしまっているかもしれない。
<義に過ぎれば>
筋を通すことは大切なことだ。
しかし、やりすぎてしまえば、堅苦しく、
窮屈になり、柔軟性を失ってしまいがち。
同じことであっても、思いむき出しではぶつかるが、
うまく言い回したりして、
無駄な衝突を避けられるってことはよくある。
柔軟さを持ちあわせることも役に立つもの。
<礼に過ぎれば>
礼儀正しく振る舞うことは、社会生活では重要なこと。
しかし、度を過ぎてしまえば、却って嫌味に取られたりして、
意図とは全く違う結果を導いたりするもの。
また親しさを深めようとするとき、堅すぎる礼儀は邪魔になったりもする。
<智に過ぎれば>
智恵があるということは素晴らしいこと。
賢さは、人生にとって、とても役に立つものだが、
相手をだましたり、という方向に使ってしまったりする可能性がある。
子どもが嘘をつくようになるのは、それだけ知能が向上した証拠。
智だけに走ってしまうと、心を失ってしまうことがあるのだ。
<信に過ぎれば>
人を信頼すること、信じることは人生を豊かにしてくれる。
しかし、どんなことでも盲目的に信じてしまうのは、
損をすることにつながることがある。
ときに相手は、ダマそうという意識はなくて、
間違った情報を信じてしまっていたり、
誤解をしていることだってある。
やはり、自分なりにリーズナブルなことかどうか、
考える必要はあったりする。
<過ぎたるは>
どんなに素晴らしい、思われることであっても、
度を過ぎてしまうと、悪影響をもたらすことがある。
ときには1歩退いて、確認してみる価値はきっとある。