気づきの伝道師 藤井一規です。
職業には貴賤はないと言われたりします。
しかし、多くのひとは表向きはそうだとうなづいても、
違いがあると考えていたりします。
どう捉えていけば良いのか、しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「職業には貴賤はないが、人間の生き方には貴賤がある」
by 石田梅岩(江戸時代の思想家)
職業に貴賤はないと言いながら、
東大出てもあんな仕事・・・という捉え方をされることがあったり、
医師など、世間から一目置かれる職業があるのも確か。
もうすこし考えていく。
<江戸時代>
江戸時代は、身分制度が存在していた。
基本的に、武士は武士、農民は農民、商人は商人である。
職業選択の自由はあまりなかったと言える。
そんな社会で、役割を分けて担当していると考えたとき、
職業に貴賤はないという考え方は、力づけになるものだったかもしれない。
<貴賤があるか>
職業に貴賤があるか?という問いには、
いろいろな答えがある。
どんな答えを持っていたとしても、相手の肩書を知って、
相手への態度が変わるってことはあるのではないだろうか?
社会的に影響力の高い職業は存在する。
それを貴さと結びつける考え方は、根強いかもしれない。
<職業の貴賤よりも>
仮に職業に貴賤があったとしても、
貴い職にあるから、何をしても大丈夫、ということにはならない。
その職から手に入る権限を不当に利用して、私利私欲を満たしたり、
他の人を苦しめたり、貶めたりしているのであれば、人間として醜いと言える。
自分の職業が貴いからと考えて、他の人を軽く扱うのはおかしいし、
職業が賤しいからと、手を抜いたっていい、という考え方も残念だ。
<トイレを見れば>
その会社を知るには、トイレを観よ。
と言われたりします。
トイレ掃除といえば、あまり高級な仕事とは思われないかもしれない。
しかし、トイレはそこにいる人たちの意識が表れやすい場所。
そして、きれいなトイレは、そのトイレを
使う人の心にも良い影響を及ぼす。
プライドを持って掃除をすることはできるし、
その結果は、掃除した場所を使う人にも影響を与えている。
<何をより、どのように>
どんな職業であろうとも、取り組み方に大きな差が存在しうる。
人として、貴い取り組み方もできるし、賤しい取り組み方もできる。
そう、何に取り組むかよりも、どのように取り組むか、
のほうが遥かに大切なものなのだ。