気づきの伝道師 藤井一規です。
いくつかの中から選ぶとき、
選択に迷うようなときもあるに違いない。
そんなとき、どんな判断基準をもっていますか?
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http://shitsumon-alacarte.com/mental/13830/
この記事の目次
「僕は様々な決断を下すときに必ず『この生き様は美しいか?』と自分に問いかけます」
by 岡田 武史(元サッカー選手、サッカー指導者、実業家、日本サッカー協会副会長)
選択するときの判断基準がはっきりしていると、
迷いを断ち切りやすくなる。
しばらく考えていく。
<判断基準>
いくつかの選択肢があるとき、
どんな風に判断しているだろうか?
「正しいか、間違っているか」
「損か、得か」
「楽か、大変か」
「好きか、嫌いか」
「自然か、自然じゃないか」
・・・
様々な基準がある。
その基準に、「美しいかどうか」を岡田さんは定めているという。
現実的なことを考えたとき、私たちはつい、目先の利益に囚われがち。
<より高いもののために>
サッカー日本代表の監督を2度急遽引き受けたとき、
間違いなくこの基準は働いている。
成績不調よる前任監督の解任という一大事、
次の機会は、前任監督の体調不良という一大事において、
日本中が注目する代表監督を引き受けるのは、
生半可なものではない。
志を持ち、自分が目指すべき高い目標を定め、目指して登っていく。
引き受けることが、彼の美学にかなっていた。
分岐点がやってきたとき、
より美しいのはどちらかで選択していく。
すぐにあきらめたり、妥協してしまうよりも、
まずはより高いレベルを求めていこうとする、ということだ。
<妥協するのは>
もちろん人生で難しい選択を迫られたとき、
現実的な判断するのも一つの選択。
ただ、せっかくならより高みを目指してみてもいい。
目標の旗の場所を下げてしまうと、
それ以上の高さには行きにくくなってしまう。
妥協はいつでもできる。
美しい場所を目指して、
美しい行き方を、生き方を求めてみてもいい。
<一つの美学>
判断の基準は、あなたが決めることができるもの。
美しいところを目指していると、
賛同してくれる意識の高い仲間も見つかったりする。
現実的な基準がいけないというわけではないが、
美学があってもいい。
より高いところにたどり着くには、
高い目標をたてておくほうがいい。
そして、自分に問いかけてみる。
「この生き様は美しいか?」
気づくことがきっとある。