気づきの伝道師 藤井一規です。
自分の言葉とはなんだろう?
生きた言葉、命のこもった言葉とは?
しばらく考えていきたい。
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この記事の目次
「自分の言葉にこだわり、演説や答弁では原稿を読まない主義を貫きました。言葉に命が宿らないからです」
by 海部俊樹(第76・77代内閣総理大臣)
海部元首相は、原稿を読まなかったことで知られている。
そこには、こんなこだわりがあった。
では、私たちはどうすべきだろう?
<弁士>
たしかに、原稿を読み上げるのと、
原稿を持たずに語りかけてくるのとでは、
受け留めがあきらかに違ってくる。
原稿に気を取られて、
聴衆に対する気持ちがおろそかになってしまいがち。
中にはずっと原稿に向かって話しかけているって方もいる。
すると読み上げている言葉と、実際にはあったに違いない思いとが、
かけ離れていってしまう。
なんだかお経でも唱えているような感じを受けてしまうようなことすらある。
そういえば、海部元首相は、早稲田大学時代から、弁が立つことで知られていたそう。
メッセージを、思いを伝えるのに、
原稿が邪魔になることを経験していたに違いない。
<言葉に命を宿す>
国会答弁などで、政治家が役人が耳元でいうことをそのまま言ったり、
原稿を読み上げる、という場面が良く中継されたりする。
たしかに、自分の専門外のことを問われることもあり、
メモや原稿が必要なこともある。
それをしなかった海部元首相は、臨機応変の対応ができると同時に、
相当勉強されていたといえるだろう。
ただ読み上げたり、耳元で聞いたことを繰り返すのでは、
言葉にエネルギーを込めることは難しい。
ただ読み上げた言葉は、平板になりやすく
自分自身のものとすることが難しいからだ。
<原稿は作ってもいい>
もちろん原稿にはメリットがある。
まず、内容を事前にチェックすることができる。
論旨がわかりやすいか、伝えたいことが伝わりやすくなっているか、
確認することができる。
特に、慣れない言語でスピーチするような場合、
その場で単語が出てこない、というようなことを避けることができる。
あらかじめ調べて準備することができるからだ。
しかし、実際に人前で話すときは、
原稿を外して、思いを込めて話していくほうが望ましい。
丸暗記しようというのではない。
主要な中身は、自分が考えたこと、行動したこと、感じたこと、
そう、自分が経験したことにしておけば、いちいち暗記する必要がない。
実体験なら、その時のことを単に思い出せば、
気持ちを載せ、命を吹き込んでいきやすくなる。
<自分の話にする>
そう、自分ならでは内容、自分ならではの表現をしていけばいい。
いくら格好の良い言葉をどこからか借りてきても、
実感のこもった言葉にはかなわない。
頭の中を整理するために、材料を書き出したり、
実際に原稿をつくってもいいけれど、
伝えるときは自分ならではの、命溢れる言葉にしていきたいもの。