気づきの伝道師 藤井一規です。
私たちは、一見して輝いているものを素晴らしい、
と捉えてしまいがちなもの。
しかし、それは本当だろうか?
しばらく考えていきます。
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http://shitsumon-alacarte.com/mental/14083/
この記事の目次
「外見の輝きに目がくらみ、なんとたやすくまちがった意見をつくってしまうことだろう。」
by モリエール(仏の俳優、劇作家)
はた目かたみて、素晴らしいにちがいない!
と考えてしまうことはよくあるもの。
しかし、単に表面的であることも多いもの。
もう少し掘り下げていく。
<純金か、金色のメッキか>
金色に輝くものがあるとする。
それが、純金でできているものなのか、金色のメッキなのか?
見分けることはできるだろうか?
触ることも、持つことも、測定することもできないのだとたら、
判別は大変難しいものになるだろう。
そう、輝いているからといって、
それが本物だと、判断することは難しい。
表面的に、本物っぽく輝かせることは、
それほど難しいものではなかったりする。
だから、本物を見極めるには、ぱっと見だけでは不十分、ということだ。
純金製なのか、金メッキなのか、果ては金色のメッキなのかは、
もっと知っていかなくてはわからない。
<見た目の影響>
このことは、本物は見た目では判断しにくい、
ということを示すことではあるが、
同時に、見た目が人に与える影響の大きさも教えてくれている。
本物は本物らしい外見をしていたほうが、
より伝わりやすい、ということだ。
受け手のほうは、より「それらしい」外見をしたもののほうを
素直に受け止める傾向がある。
だから、人からどのように受け留められるか?
という視点をもっていたほうが、自分をアピールすことができる。
<本物であるなら>
あなたが受け手側なら、外からの見た目だけで判断するのは、
避けたほうが賢明といえる。
特にキラキラの輝きは、判断力を奪う力が大きい。
輝きを取っ払ったところで、この人が信頼置けるひとなのかどうか、
本物なのかどうか、見極めていきたい。
また、あなたが発信側なら、
キラキラを盛り込んでいくのは価値がある。
もちろん、はじめはともかく、実力をつける努力を
重ねていく必要があることは言うまでもない。
その輝きを本物にしていけばいい。