気づきの伝道師 藤井一規です。
余分を削ぎ落していくと、
美しさが際立ってきたりします。
余分を取り去っていくことについて
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「余分の大理石がそぎ落とされるにつれて、彫像は成長する」
by ミケランジェロ(イタリアのルネサンス期の芸術家)
大理石を彫って命を紡ぎだしていく彫刻家
ミケランジェロは、余分をなくしたところに美を、
成長を見出していた。
もうしばらく考えていく。
<本質と美しさ>
無駄を削ぎ落したところに、美しさがある。
美しい像が大理石の中にあり、
それを取り出す作業をするのが彫刻家だと言われたりもする。
本来の姿の上に張り付いた石を
取り除いていく作業。
取り除くたびに、本来の姿に近づいていく、成長していく。
<想像力か直観か>
この石の中に、何を見出すのか?
この木の中に、何を感じるだろう?
そこに生き生きとした何かを見つけて
具体的な形にしていく
本質には無駄がない。
何が本質かを見極め、本質を形に変えていく作業を
彫刻家はしているのだと言えそうだ。
想像力なのか、直観なのか、
そこにあるものを見抜いて、あるいは信じて
形にしていく。
<本質を見極める>
彫刻家ではなくても、そこにあるものの中から
本質を見極めるのは大切なこと。
たまたま彫刻家だったから、
大理石や木などを刃物で削って本質を形にしていく。
私たちはどのようにして本質を見極めていけばよいのだろう?
はじめから簡単にはできないかもしれない。
しかし、正解なんてどこにもない。
というよりも、どんな答えも正解なのだ。
自信をもって、自分の信じたものを作っていけばよい。
<成長する>
これが本質かな?って気づいたら、
真剣に取り組んでみる。
美しい形になっていけば、
それは一つの正解。
無駄ひとつない状態を目指すのもいいけれど、
ちょっとくらい無駄はあってもいいかもしれない。
自分に迷いがあったりすれば、一貫性を失い、
美しさも失われてしまう。
無駄を取り去る作業は、
うまくできるようになると、楽しくなったりもする。
ときには削りすぎてしまうこともあるかもしれないが、
やってみて初めてわかることも多いはず。
自分自身も本来の姿に向かって、成長していくことが
できるに違いない。