気づきの伝道師 藤井一規です。
お互いに主張しあっていれば、ぶつかり合い、
傷つけあってしまうかもしれません。
硬いままでいると、お互いが傷つくかもしれません。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「セトモノとセトモノとぶつかりっこするとすぐこわれちゃう。どっちかがやわらかければだいじょうぶ。やわらかいこころを持ちましょう」
by 相田みつを(詩人、書家)
確かに、一方が柔らかければ、壊れずに済むかも。
ただ、だからといって譲ってばかりというのもどうだろう?
もうしばらく考えていく。
<硬いもの同士>
自分が欲しいものを得るために強硬にでることがある。
強化ガラスは大変硬いが、弱点がある。
特定の場所に軽く衝撃を与えただけで、
粉々になったりする。
自分のほうが強いからと安心していると、
相手が意外な抵抗を見せて、
自分のほうが痛手を負ったりする。
特に同じような硬さのもの同士だと、
双方に大きな痛手をこうむったりする。
<緩みを>
相手が尖って、硬くやってきたとき。
同じように硬い対応をとるという手段は、悪いことばかりではない。
不思議なことに、同じような硬さであることがわかると、
双方に親しみが湧いたりするのだ。
ただ、そのままぶつかり合い続ければ、
お互いに壊れてしまうかもしれない。
同じ硬さと分かったとき、ちょっと緩みを持ちたいもの。
<柔らかさ>
相手が硬いときに、自分のほうを柔らかくするのは一つの方法。
ぶつかり合って、壊れることは避けられるかもしれない。
しかし、ぶつかるのを避けようと、
譲ってばかりいるのだとしたら、どうだろう?
強硬に出てこられたら、
退く一方でよいのだろうか?
確かに壊れることは避けられても、
譲ってばかりというのはやはり考えものだ。
主張すべきところは主張していく必要がある。
<譲るところと守るところ>
ぶつかって、どこまでも平行線でいるとしたら、
どちらかが壊れるまでそのままかもしれない。
しかし、主張するところと、譲ることができるところを
きっと見つけることができる。
どうしても譲れないところがあり、
それを得られるなら、ここは譲っても仕方がないか
というポイントは、わずかであっても違うことのほうが多い。
ただ、強硬に全部!と要求するばかりではなく、
主張するところと、譲るところを
見極めるようにしていきたい。