気づきの伝道師 藤井一規です。
完璧な人間を目指すこともできるが、
完璧であろうとすればするほど、苦しくなっていく。
しばらく考えていきます。
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この記事の目次
「完璧な人ではなく、完璧な自分になる」
by ジム・ドノヴァン (米の著述家)
完璧な人なんていない。
完璧になろうとすれば、わずかに足りなくても満足を得られなくなる。
なるとしたら、完璧な自分に。
もう少し掘り下げていく。
<完璧>
おおよそを目指すと、達成はそれほど難しくない。
70%とかであれば、何とかなったりする。
しかし、目指すところを100%にしようとすれば、
次第に難しくなっていく。
80%なら何とかなっても、90%となると大変になっていく。
さらに100%に近づけば近づくほど、急激に難しくなっていく。
同じ1%の向上であっても、
80%から81%より、95%から96%のほうが遥かに難しい。
<自分になる>
完璧な人になろうとするのは大変すぎる。
どうせなるのなら、完璧な自分になってみる。
完璧な自分にだったら、その気になれば、きっとできる。
自分らしく、自然にふるまっていけばよいのだ。
え?自分は自分なんだから、簡単じゃないかって?
いえいえ、意外に人は自分を偽っていることが多いもの。
誰かの目を意識して、本来の自分を隠そうとしたりする。
嫌われまいとして、本音とは違うことを言ってしまったりするもの。
<自分を知る>
自分になるには、自分のことを知っておく必要がある。
あなたは自分のことをどれくらいわかっているだろうか?
自分から外れているかどうかをわかるためには、
自分がどんな人なのかがわからないと、判断しにくい。
知っているつもりで、意外と自分のことはわかっていなかったりする。
頭で考えるのもいいが、身体に聞いてみるというのもいい。
ある選択をしたとき、身体に違和感が生じたとしたら、
それはきっと自分らしくない。
反対に、自分の持っている力が、
とくに頑張らなくても発揮できるようなときは、
自分らしいといえる。
<自分になろう>
そう、自分を知り、自分らしくなっていこう。
ときに無理する必要もあったりするけれど、
自分らしくいたほうが、自然に、よりあなたの能力は発揮され、
成果も上がっていくだろう。
完璧な人を目指す必要なんてないが、
完璧な自分を目指して、暮らしていきたいものだ。