気づきの伝道師 藤井一規です。
あれこれ頭を悩ませて考えたことよりも、
直観であったり、身体の感覚のほうが
あっているってことはよくあるものです。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14478/
この記事の目次
「感覚は欺かない。判断が欺くのだ」
by ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(独の詩人、劇作家、小説家、哲学者、自然科学者、政治家、法律家)
いろいろと策を巡らしたり、考えたりして決めたことが、
大間違いだった、なんてことはあるもの。
後から思い返してみると、なんだかちょっと嫌な感覚があったな。
ってことがあったりする。
もう少し掘り下げていく。
<第一印象>
何かを選択するときに、
条件をあれこれ考えて、比較したりすることってあるもの。
しかし、意外と直観で選んだほうが、
ぴったりくるってことはよくあること。
例えば、人と会ったとき、第一印象がとても大きな影響を持つと言われるが、
自然のうちに、直観を大切することを知っているからかもしれない。
逆に、第一印象をよくするために努力することは、
大切なことになってくる。
<判断の理由>
私たちは、より好ましいものは何かを選ぶとき、
頭の中で考えて決めたようで、
実は考える前に答えが決まっていることが多いという。
異性の写真を2枚見せて、より好ましいどちらかを選ぶとき、
見た瞬間に決めているそう。
もちろん、「どうしてその人を選びましたか?」
と聞かれたとき、理由を答えるけれど、
どうも、決めてしまってから、
後付けで理由をつけているという。
<すり替え実験>
その証拠に、写真を見せた人が答えた人にわからないように
写真をすり替え、選ばなかった方の人の写真だけを見せて、
「どうして、こちらの方を選びましたか?」
と尋ねると、すり替えには気づかないまま
理由をこたえる人が多いのだそう。
そう、理由付けしたものは、判断した後の
後付けになっていることが多い。
理屈は強引に、無理をしてでも付けられるのだ。
それに対して、直観や感覚は素直に反応するもの。
<感覚を信じる>
だから、もっと感覚を、直観を信じてみてもいいかもしれない。
あれこれと理屈で理由付けして納得させようとするよりも、
自分の素直な感情、感覚を大切にしても良いかもしれない。
計算や打算を巡らせるよりも、
大事なことが、そこにあるのではないだろうか。