気づきの伝道師 藤井一規です。
人生に意味はあるのか?
とか、この意味するところは何だろう?
つい考えてしまうもの。
意味を求めることについて、
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14601/
この記事の目次
「意味を求めることの無意味さをときどき考えよう」
by 森 博嗣(小説家)
人間は、意味があることには、納得して取り組みやすい。
しかし、特に意味はなくても夢中になったりすることもある。
もう少し掘り下げていく。
<謎解き>
どうやら人間には謎を解きたがる、という性質が、
いわば本能的に備わっていると言われてる。
生後1日の赤ちゃんでも、〇と×の図形を順番に、
切り替えていた見せていた状態から、▽や□を見せると、
明らかに目の動きが変わるそうだ。
秩序的な状態が変化したとき、
その変化は一体何なのか?
興味を持つようにできている。
パズルや謎解きは、多くの人が好きなもの。
わけのわからない状態があったとき、
そこにはいったい、どんな秩序があるのかと
人は捜し求めようとする。
マジックも、非常識的なことを目の当たりにして、
それはいったいどのように起きているのか、興味を惹かれる。
<人生の意味>
なんとなく、すべてのモノには意味があると考える
傾向が私たちにはある。
特に、人生には意味があるのか?
という問いに答えを見つけようとする人は多い。
このために生きているのだ!と、
意味を見出せ、そのことに取り組めていると、安心が得られる。
しかし、その意味が見いだせないでいても、
生物として、命を継続しようという働きは継続する。
意味を見つけているが、そのための活動できなくなったとしても
命がその場で絶えるようなことはない。
命は、生きることそのもののためにある、
と考えたほうが自然かもしれない。
<意味がないのにはまること>
意味があることならする。
意味がないことならしない。
私たちは、そういう意識を持ちがちだけれど、
よく考えてみれば、特に意味のないことなのに、
長時間夢中になってしまうことがある。
価値を生み出しそうもないゲームにはまったりってことは、
誰にも経験があるのではないだろうか?
他にもきっと、意味ないけれどやってしまうこと
時間をつぎ込んでしまうことってあるもの。
コミュニケーションという意味を超えているような
長時間のおしゃべりもそのひとつかもしれない。
<意味を求めすぎない>
すべてのことに意味があるのかどうかは、
わからないというのが正直なところ。
もちろん、意味を見つけ、
意欲をもって取り組むのって素晴らしい!
ただ、意味を求めすぎて、意味がなければ・・・
と自分を縛り付け、苦しんでいるのだとしたら、
考え直してみてもいいかもしれない。
意味があるか、ないかよりも、
自分の中に生きるエネルギーを生み出すものかどうか
のほうが重要。
命のあることを楽しみ、謳歌していきたい。