気づきの伝道師 藤井一規です。
ほんとうのものを見極めるチカラって欲しいものです。
目に見えるものを本物と考えがちですが、
本当にそうでしょうか?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14717/
この記事の目次
「目に見えるものが、ほんとうのものとは限らない」
by 村上春樹(作家)
人は、目に見えるものをほんとうのものと捉えがち。
しかし、ときにはそうでないことがある。
ほんとうのものではないことがあるということを
知っておく必要があったりする。
もう少し掘り下げていく。
<違って見える>
見えたものがほんとうのものではない場合がある。
例えば、視覚の錯覚、錯視はその代表だ。
だまし絵のようなものをご覧になったことがあるかもしれない。
長さの認識では、人は縦のもののほうが横のものよりも長いと感じたりする。
また、対象物だけでなく、周りに見えているものの影響を受けたりする。
のぼりはじめた月のほうが、上空にあるときよりも大きく見えるが、
月のサイズが変わるわけではなく、
地上にあるものとの対比によって錯覚を引き起こしているから。
これは、大きさだけでなく、色についてもあって、
人は色を認識する際、周り色の影響を受けている。
そう、人の感覚は意外と状況の影響を受けてしまう、あやふやなものだったりする。
<脳で構成されて>
仮想現実や拡張現実といった技術を体験する機会が増えてきた。
その効果は、視覚に訴えて来るところが大きい。
まるでそこにあるように、リアルに見えるが、
ほんとうのものか、といえば、やはり仮想的に作られたり、
付け加えられたものだ。
そこに見えているからといって、
ほんとうのモノとは限らない。
人はもともと、目という感覚器官で取り込んだ刺激を
脳の中で構成して初めて認識している。
見たモノそのものではなく、
脳で構成して初めて認識できる。
すでに目で見たモノそのものではない。
<ほんとうのもの>
ほんとうのものは、目で見えたというだけではわからない。
目には見えなくても、そこにあると信じられたら、そこにある。
例えば、見守ってくれる存在を感じられたら、
それは、その人にとってほんとうのもの。
目に見えるということは、わかりやすい対象物にはなるけれど、
それがすべてではない。
何がほんとうのものか、
自分が決めていくものなのかもしれない。