気づきの伝道師 藤井一規です。
災難に遭ったりすると、どうして自分だけが!
なんて思ったりするもの
災難は、誰にでも訪れる可能性があるし、
不思議とその先を用意してくれていたりします。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14770/
この記事の目次
「運命というものは、人をいかなる災難にあわせても、必ず一方の戸口をあけておいて、そこから救いの手を差しのべてくれるものよ」
by ミゲル・デ・セルバンテス(西の作家「ドンキホーテ」より)
世の中、うまくいくことばかりではない。
災難に遭うことだってある。
しかし、どこかから救いの手が差し伸べられたりする。
もう少し掘り下げていく。
<事故や災難>
偶然に事故や災難に巻き込まれた、というケースはたくさんある。
別に自分でなくてもよかったのに、
自分だけが被害に遭うなんてこともある。
巡り合わせの不運を、運命を呪いたくなることがあるかもしれない。
しかし、まだ未来が残されているなら、
そこには必ず救いがあるというこの言葉。
<意識の向かう先>
私たちの意識がどこに向かうかといえば、
自分が意識しているもののほうだ。
不運を意識すれば、不運だと思うものが目に留まったりする。
ツイていないと思えば、ツイていないようなことが気になる。
反対に、幸運だと思っていれば幸運なことが意識される。
ツイていると思えば、ツイていることが意識されるもの。
<どんな体験も>
どんな体験をしたとしても、私たちは
それを活かしていくことができる。
え~?、何かを失くしてしまったとしたら、
どう活かせるの?って聞きたくなるかもしれない。
確かに、失ったり傷ついたり、
活かせることなんてないと思うかもしれない。
それでも、どれだけ大切なものだったかを知り、
どういうものが大切なのかがわかっていく。
また、失くしたのが物だとしたら、
新しくしていくチャンスだ、と考えることもできる。
<未来にあるもの>
出来事をプラス方向に考えたいが、
簡単にはいかないこともある。
それでも、未来があるのなら、
自分が体験した経験を活かすことができる。
たとえ自分自身にではなくとも、
同じような経験を避けたい誰かのために。
同じような経験をしてしまった誰かのために。
あなたの経験は、大きな大きな価値を持つものに
していくことができる。
何があっても、救いはきっとあると考えていきたい。