気づきの伝道師 藤井一規です。
民主主義という名のもとに使われることの多い多数決。
しかし、何かを決定するのに、
多数決は常に最適な方法だと言えるだろうか?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14815/
この記事の目次
「人間の良心は多数決に従わない」
by ハーパー・リー(米の小説家)
多数決が大きな間違いを導くことがある。
あのヒトラーを支えたのは、圧倒的な国民の支持だった。
多数決のもとに、あの悲劇は生まれたといってもいい。
もう少し掘り下げていく。
<多数決は民主主義?>
多数派と少数派の、2つの派閥があるとする。
多数決を採用した場合、
採用されるのは常に多数派の意見ということになる。
少数派が主張していることのほうが、大局的に考えたら望ましくても
多数派の利益を損なってしまうとなると、成立しなかったりする。
極端な話、少数派から搾取するような法律を成立させることすらできてしまう。
民主主義というと、なんだか多数決で決めるように思う人は多いが、
多数決は決定方法のひとつでしかなく、民主主義だから多数決とは決まっていはいない。
<多数決の問題点>
多数決は、少数意見を切り捨てる、ということでもある。
少数と言いながら、2つの派閥の対立なら51:49で、
49の意見を切り捨てることになるし、
3つの派閥なら、全体100としたら最小34の意見で決まってしまう。
残り66の意見は切り捨てられてしまう。
また、採用された案に賛成した人が、
充分な情報を持たない状態で判断した可能性がある。
それから、流行のように広告宣伝を利用して、
人の意見の方向性をコントロールしようとすることがあったりする。
誰かをヒーローにしようとする映画や本をつくり、
毎日、あらゆる機会に刷り込もうとする場合があったりする。
多数決で決まったとしても、公平性に欠けた状態だとしたら危険だ。
多数決は便利ではあるが、問題を引き起こす要素も含んでいる。
<良心と多数決>
多数決が切り捨てた少数の中に、
あなたが捨てることができない大事なものが含まれることがある。
誰かを船から下さなければ、船に乗っている全員が危険にとなったとき、
いくら多数決だからといっても、自分や、自分の子供を下すとなったら、
とても納得はいかないだろう。
また、今日の言葉のように、自分の良心が多数決の決定に反するようなときは、
多数決の決定に従うことは難しい。
決定したことだからと実行して、心を痛め続けるなんてことは
とても健康的とは言えない。
<良心に従う>
雰囲気に流されることなく、自分の良心に照らして、
合致することに取り組んでいきたい。
また少数の意見に含まれている、重要なところを大切にしていきたい。
現状の利益の主張を仕合うのではなく、
何が望ましい未来に近づくのか、
自分の良心によく尋ねて判断をしていきたい。
多数決で本当に大切なものが失われそうなときは、
多数決以外の方法も考えていきたいものだ。