気づきの伝道師 藤井一規です。
不満を抱えている状態にいると、
気持ちを落ち着かせることができません。
どのようにしていけばよいか、
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14868/
この記事の目次
「不満を持っている人間には安楽なイスは見つからない」
by ベンジャミン・フランクリン(米国の政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者)
不満の種は、どこにでもある。
不満を探し出そうとすれば、いくらでもできる。
反対に、満足や幸せを探し出すこともできることに気づいていきたい。
もう少し掘り下げていく。
<不満とその解消>
不満を抱えたとき、どうやって解消していますか?
たとえば、友達や、家族などに、こんな嫌なことがあったの!と
誰かにその不満を伝えたりする。
誰かに話すと、気持ちが軽くなったりしますよね。
しかし、まあ聞かされたほうは、あまり気持ちの良いものではないし、
話したほうも、問題が解決されるわけではない。
他には、不満をもとに誰かに八つ当たりしたりして。
八つ当たりされたほうは、たまらないし、
やはり問題が解決されるわけでもない。
不満を意識している間、心穏やかな状態になることは難しい。
<不満は尽きず>
不満のネタは、おそらく尽きることはない。
どれほど素敵な状態にあっても、
もっとこうなればよいのに! 誰かがこうしてくれればさらに!
なんてことを思いつくことができたりする。
そう、いつなんどきでも、不満を見つけようと思えばできてしまう。
では、どうしていけばよいのだろう?
考えてみれば、不満をいつなんどきでも見つけ出すことができるなら、
逆に、満足であったり、ありがたいことに意識を向けることもできるってこと。
実に簡単な答えがある。
幸せや満足に意識を向ければよいだけ。
<意識を向ける先>
生きていれば、不平不満を感じ、訴えたくなることもある。
もちろんそんな時間があったっていい。
しかし、不満のほうに意識を向ける時間より、
できれば満足や、幸せのほうに意識を向けていきたい。
不平や不満をぶつけたって、そのマイナスなエネルギーが拡がったり、
それば自分に返ってきたりってことがおきるだけだったりする。
安楽な椅子に座る時間を望むのであれば、
満足、幸せを意識する時間、見つけて感じていく時間を
増やしていきたいもの。
不満な状態にあるときは、安楽の椅子がないのではなく、
ただ見つけられないだけなのだ。