気づきの伝道師 藤井一規です。
真剣に遊ぶことが、これからは必要だって言われたりします。
じつはこれ、最近言われ始めたというわけではなく、
以前からあった指摘。
真剣に遊ぶってどういうことなのか、しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/14891/
この記事の目次
「遊ぶときは一心に遊べ。働くときは一切遊んではいけない」
by セオドア・ルーズベルト(米国の第26代大統領)
遊ぶときは真剣に、一心に遊ぶ。
好きなことに意識を向けることは、ストレスの解消になる。
それ以外に、とりあえずで終わらせることがなくなっていく。
とことん楽しもうとすれば、
他の人が、まあこのへんで、というところを突き抜けることができる。
真剣に遊ぶことは、追究する上でのキーワードかもしれない。
もう少し掘り下げていく。
<やらされ感とエンゲージメント>
仕事というと、しなくてはならないものだったり。
やらされているっていう感覚を持つ人は多い。
しかし、その状態だと、生まれてくるものの質は
それほど高くなくなってしまう。
とりあえず体裁を整えておけば・・・
この程度にしておけば・・・
これでは、出てくる結果は知れてしまう。
自分の意思で、こんな結果を出していきたい。
こんな社会を生み出すために、自分ができることをしようといった、
自ら求めるものと、求められるものとが一致した
エンゲージメントされた状態になっているのとは違う。
<真剣に遊ぶとき>
仕事でのエンゲージメントができると
素晴らしい結果が生み出されたりする。
では、遊びの場面ではどうだろう?
とことん楽しむことを追究してみると、
普通にただ遊んでいる状態では、考えられないような結果が生み出されたりする。
ただ、与えられた遊び方しているだけの状態と、
もっとこうしたらどうだろう? いや、こっちのほうが! など、
究極を追究しようとしているような状態とでは、
大きな違いが生まれてくる。
突拍子もないような可能性を追究したりして、
従来の制限を超えた、変革をともなうものが生まれ出てきたりする。
<仕事も>
仕事の場面でも、ただこなすだけに終わらず、
もっと楽にするには? 簡単にするには?
真剣に遊ぶ感覚を持ち込むことができるのではないだろうか?
起業家の多くは、真剣に遊ぶことから見つけたことを、
ビジネスにしたりしている。
取り組むことが、自らの喜びとして捉えられたとしたら、
取り組むことが楽しくなり、おもしろくなっていく。
一心に、真剣に遊ぶことをもっと考えても良いかもしれない。