気づきの伝道師 藤井一規です。
人は慣れるという特性があります。
どんなにすばらしくても、どんなに残念な状況でも
慣れてしまうようです。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/15035/
この記事の目次
「私が想像できる最も悲しい事は、ぜいたくに慣れてしまうことだ」
by チャーリー・チャップリン(英国出身の映画俳優、映画監督、コメディアン、脚本家)
良くも悪くも慣れるチカラを持っている私たち。
チャップリンは、最も悲しいものとして、贅沢に慣れてしまうことを挙げている。
なぜなのか、もう少し掘り下げていく。
<莫大な財産>
喜劇王チャップリン。
成功者だったといえる。
もちろん多くを稼いでいたことが想像できる。
しかし、彼の生活は必ずしも贅沢なものではなかった。
多くの成功者がしたように、贅沢することはできたはず。
実際、多くの財産を持っていたことが知られている。
どうやら贅沢がもつ、マイナス面を見つけていたのではないかと思われる。
<慣れという特性>
贅沢な暮らし。
誰もが憧れるような暮らしは存在する。
普通ではお目にかかれないようなものを
手にすることもできる。
しかし、人は慣れるという特性がある。
どんなにすばらしいものも、いつ何時でも自分の手元にあるとなると、
その感動は薄れていってしまう。
慣れは、大変な状況、辛い状況にも働いて、
大変さ、辛さを緩和もしてくれるが、
幸せや感動も薄れさせてしまう。
<感受性>
チャップリンは、作品を作り上げるうえで、
ものすごくこだわりをもっていたという。
ちょっとしたことが持っている違いを感じ取り、
より良いものを作り上げようとし続けていた。
素晴らしさに感動することを忘れてしまうような
贅沢はしないようにしていたのかもしれない。
研ぎ澄まされた感覚を持ち続けようとしていたのかもしれない。
<ちょっとしたことに心を>
様々なことに感動して生きていくこともできるが、
そんなものはたいしたことがない、と考えていくこともできる。
チャップリンは作品をつくるうえで、
贅沢は邪魔になると考えたのではないだろうか。
日常のちょっとしたことに感動したり、
感謝したりする気持ちを持ち続けようとしたのかもしれない。
感覚を鋭く保つためには、贅沢は邪魔になるかもしれない。
ちょっとしたことに、心を動かすことができるって素敵なこと。