気づきの伝道師 藤井一規です。
下手であることを恥じるという気持ちってあるものです。
下手であることを隠そうとし、
知られずに済まそうとすることもあるもの。
しかし、ひょっとしたらそれではもったいないかもしれません。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/15041/
この記事の目次
「下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか」
by 岡本太郎(芸術家)
下手であることを避けるのではなく、
楽しんでしまえと言った岡本太郎。
もう少し掘り下げていく。
<下手であること>
下手であることは、かっこ悪いと思う人は多い。
かっこ悪いところなんか見られたくない、
知られたくないと思うのは自然なこと。
できれば隠したいと思ったりするもの。
人に見られまい、知られまいとすれば、
人前ではやらずに済ませてしまおうとするだろう。
しかし、下手だからこそ、トレーニングしたり、
繰り返し繰り返しやってみる必要がある。
<乗り越えるために>
どうせなら、とことんかっこ悪いところをさらけ出してしまう。
恥ずかしい思いを抱えたまま、
中途半端にやっておしまいにしてしまうより、
思い切って滑稽さを出していく。
人に笑われるのが嫌でも、
自分から自分の不器用さを笑ってしまったとき、
周りからの笑いも気にならなくなってしまう。
そして、楽しみながら繰り返していると、
少しずつ慣れ、ちょっとずつでもできることができていったりする。
少しでもできるようになれば、うれしくなっていく。
周りで笑っていた人も、変化に気づけば感心し始める。
そう、やってみるために、自らを笑い、
繰り返すために楽しんでいけばいい。
<だれにも不得意なことがある>
どんな人にも苦手なこと、不得意なことがある。
それらを避けていくことも重要な考え方。
しかし、あえて自分から笑っちゃうくらいの不器用さがあるのは
かわいらしかったりもする。
乗り越えようとするのではなくとも、
不得意は不得意としておいてもいいかもしれない。
苦手や下手があることも、人間味のひとつ。
隠したりごまかしたりするよりは、その人らしさが出る。
それに楽しんでいるうちにできるようになるかもしれないし、
やっぱりやめておこうと思うのもいい。
ただ、他人の目を気にして、縮こまってしまうよりは、
自ら楽しむという意識を持つことが、
人生を楽しむ秘訣かもしれない。