気づきの伝道師 藤井一規です。
私が正しい!あの人が間違っている!
そう考えることはよくあること。
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/15101/
この記事の目次
「君の立場になれば君が正しい。僕の立場になれば僕が正しい」
by ボブ・ディラン(米のミュージシャン)
ひとは正しいか、間違っているかを基準にしがち。
しかし、正しさの基準は、普遍的なものではなく、
立場によって変わるもの。
もうしばらく掘り下げていく。
<正しさ>
正しいことをしている!
と言えば、胸を張っていられるような気がする。
だれしも間違いたくないと思ったりする。
二人が、やり方を巡って意見の食い違いがあって議論をしているとすると、
どちらか一方が正しくて、どちらかが間違っているのだろうか?
議論していることを実践に移したとき、
より多くの利益を得ることのできる人と、
逆に損失を被る人がいたりする。
より多くの利益を得ることができる人にとって、
そのやりかたは、より良いものだと思うだろう。
反対に損失を被る人にとっては
これは間違っている!と思うだろう。
<誰しも正しい>
そう、立場や状況によって、正しい考えというものは違ってくる。
時が経ち、時代が変われば、正しさも変遷していく。
食い違いがあるのは、何を大切にしているかが立場や状況によって異なるからだ。
人によって何を大切にしているかは異なるのだから、
どの人の意見も正しさを含んでいる。
お互いに正しさを主張しあっているとしたら、
両方とも正しいのだ、ということを思い出していきたい。
比較するときには、基準となる立場・状況を明らかにしておく必要がある。
<こだわりを捨ててみる>
どれも正しい、と考えると、
常にどれか一つだけを選ばなくてはならない
というわけではないことに気が付く。
しかし、なんらかの決定をしないと、
わけのわからないままになったりする。
誰が言ったから、とかにこだわらず、
判断基準を定めて、どれかを選択したり、
組み合わせてより望ましい選択肢をつくったり、
していけばよい。
妙なこだわりを捨ててみると、
新しい展開が得られたりする。
<誰しも正しいと知って>
誰しもが正しいと知って、楽しんでみるのもいい。
対立しているように見える案も、
両立させる可能性があったりする。
全く異なるアプローチをする可能性だってある。
意見が対立するのは当たり前のこと。
どれかだけが正で、他が間違っているわけではない。
ただの言い争いになってしまう事態は、回避する方法がきっとある。