気づきの伝道師 藤井一規です。
私たちは、様々な情報を手に入れることができます。
世界で起きていることもわかったような気持ちになります。
しかし本当にそれで十分なのでしょうか?
しばらく考えていきます。
<ブログリンク>
http://shitsumon-alacarte.com/mental/15180/
この記事の目次
「自分自身の目で見、自分自身の心で感じる人は、とても少ない」
by アルベルト・アインシュタイン(理論物理学者)
どこかから手に入れた情報をうのみにしていることってある。
実際に自分自身で体験してみたら、まったく違っていたってことがある。
もうしばらく掘り下げていく。
<情報の偏り>
私たちは、情報を自由に得ることができると思っている。
しかし、発信する側は、ある程度の偏りをもっている。
ある国では、国のトップを称賛するような情報が
大量に流されていたりする。
ときにはうそを事実としてでっちあげていることだってある。
日本であっても、メディアが取り上げるのに都合がよかったり
視聴率、聴取率が上がりやすい情報や、
そうした視点からのコンテンツが作られている。
他の視点でとらえていたら、
全く別の印象になったりすることがある。
<判断の偏り>
世の中で起きていることの全てを理解できる人はいない。
だから、自然にその道の専門家の意見を聞くことになる。
よく知っていそうな、専門家や批評家が登場して
もっともらしい解説を聞いたとき、
そうか、そうなんだと思ってしまいがち。
しかし、もしその人が不十分な知識だったり、
重要な情報を知らされず、偏った情報をもとに判断していたとしたら、
いかに専門家でも間違った考えに至る可能性がある。
どれほど、もっともらしくとも、
受け売りをする前に、自分自身の頭を使って、
矛盾していないか?他の可能性はないのか?
考えてみる必要があったりする。
<自分自身で>
便利な世の中になり、ついそこにある情報を
右から左に流してしまおうとしてしまいがち。
すぐに答えらしいものを手に入れようとし、
よく確かめずに流用してしまっていないだろうか?
やはり、自分自身の目や耳、身体を使って体験し、
どう感じるかを大切にしていきたい。
さらには、自分自身で考え、怪しげなところがあれば、
疑問を持ち、自ら確認していきたい。
そこにある情報は歪んでいたりする。
解説している権威者も不十分な場合がある。
基本は自分自身で体験し、自分自身で考えるところにある。